リスタート ~最後の恋を始めよう~ 【前編】
第二システム部一課の課長、君島修一(きみじま しゅういち)は、唯一、その土建会社の全てのプロジェクトに関わってきた社員だった。

牧野と同じ役職についているが、年は牧野より、五つか六つ、上だった。

土建屋からの仕事が入るたび、そのプロジェクトチームに組み込まれてしまう君島を、最初のうちこそ、気の毒そうに言う者たちもいたそうだが、本人は「俺は鈍いから、ちょっとやそっとのことでは堪えないんだ」とそう言って、笑っていたらしい。
そして、君島がプロジェクトリーダーとなってからと言うもの、体調を大きく崩す社員が続出することもなくなり、進捗も大きく後ろにずれ込むこともなくなった。
その結果には、誰もが無条件に、その手腕を褒め称えていた。

新入社員の頃から、君島を兄のように慕っている牧野などは、我が事のように君島の手腕を自慢しているらしい。
誰かから、そんな話を最近になって明子も聞かされた。

しかし、今回は君島のチームが抱えているもう一つの案件が納期間近ということもあり、君島が土建屋の仕事に集中できないという事もあってか、進捗に遅れがでていると先月の部内会議で報告があった。
問題はないのかと尋ねる部長に「どうにかなるでしょう」と、君島は飄々と答えていた。

後日、なにかの話の流れで係長の小林とその話になり、「大丈夫なんでしょうかね?」と問いかけた明子に、小林はやや考え込んでから「それでも、君島課長が少なからず関わっているからこそ、まだそのていどの遅れで済むんだろう。君島課長が大丈夫と言ったなら、大丈夫だろ」と、さばさばした口調で答えた。
君島とは同期で、公私にわたって君島をよく知る小林がそこまで言ったその君島が、ホンの一時とはいえ戦線離脱してしまう。


(そりゃ、部長も、部長に呼び出された牧野も、ちょいとしたプチパニックだわね、今)
(沼田くんなんて、目を回しているじゃないかしら)


そんなことを考えていた明子の耳に、先ほどの牧野の言葉が甦った。


‐このうえ、バグまで出てこられてたまるかってんだ。


そうぼやいた牧野の心情が、否が応でも明子にも判った。
それだけに、もはや牧野の暴言を窘める気にはなれなかった。

『大塚が、胃に穴が開きそうになったとかで、先週から入院してるだろ』

牧野に言われ、そう言えばと、その事実をようやく明子は思い出した。
今回のプロジェクトチームの被害者第一号、チームリーダの大塚佳明(おおつか よしあき)は、打ち合わせを終えたその日、帰社して間もなくトイレで血を吐いたらしい。
その翌日、そう聞かされた。
開発以前の段階で被害者が出たのは、初めてらしい。

  
‐もし、補充メンバーに選ばれたら、逃げるよ、オレは。


その朝は、そんな会話がひそひそと囁かれていた気がする。

『君島課長が抜けると、沼田が一人で打ち合わせに出なきゃならねえ。ちとな。相手が悪すぎる』

ため息交じりにそう言う牧野に、そりゃねと明子もその言葉に頷いた。


(下手したら、出社拒否症になるんじゃないの?)


牧野の言葉に不本意ながらも頷いた明子は、はたと、ある事実に気がついた。

「私と、沼田くんだけで出てこいってことですか?」
『そうなるな』

しれっとした声でそう答える牧野を、明子は胸中で怒鳴りつけた。


(ふざけんなーっ)
(牧野ーっ)
(お前が行けーっ)


そう怒鳴り出しそうになるのを堪えている明子の耳に、牧野の不敵な笑い声が響いた。
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