冷雨のあと
 解決しがたい悩みが付きまとう。僕と父と母、父方の祖父と同じ家に住んでいた。僕と母は影で祖父のことを軽蔑の意味で〟アル〝と呼んでいた。アルとはアルコール中毒の上二文字をとったものである。アルは年齢を重ねるごとに酒の量が増え、家の中で暴れるようになっていた。ひどいときにはストーブをひっくり返したり、大声でわめき散らした。近所の人は嫌悪感をあらわにし、顔を合わせるたびに文句や嫌味を言われた。
高校二年の夏休み最後の日、アルは夜中の十二時にタクシーで帰宅。いつものように多量の酒を飲んでいたアルはこの日、玄関で転倒した。運悪く玄関のガラス戸に頭から突っ込み大怪我を負った。ガラス戸は骨組みだけを残して、粉々に砕け散った。真っ赤に染まった頭を抑えながら、玄関前の廊下でうつ伏せになり倒れた。
 
 惨状、この言葉が最も適切な表現であろう。見慣れた玄関と廊下はアルの血液で染まり、割れたガラスが散らばっている。血が苦手な母は狼狽して何もできなかった。僕は救急車を呼び、血で染まった廊下に新聞紙を敷いて、元ガラス戸だった骨組みに適当なダンボールを当てはめてその夜をしのいだ。

「死んだらええねや」
 父が不意に呟いた言葉が脳裏によぎった。その言葉を聞いた直後、衝撃を受けた。自分の親に″死んだらええねや″……。
ただ今は不思議と何も思わなかった。頭を抑え、自らの血にまみれ、醜くもだえているアルに対して、純粋に死んでほしいと思った。それは僕自身も心のどこかでそう願っていたのからかもしれない。
 早く排除したい、そう思って救急車を呼んだ。

 母はアルに対して不満をあらわにしていた。今回の一件で爆発し、別居した。

「意気地なし」
母は父に向かってそう言い放った。触れてはいけないものに触れた瞬間。冗談で言い合う夫婦もいるかもしれないが、父は真剣に意気地がない。言われたくない一言をまともに聞かされた。父自身も気づいているだろうし、誰にも触れられたくない、目を背けている心根。父はどこにぶつけていいのか分からない悲しみや憤りを顔に出たのを隠すように背を向け、その場から立ち去った。
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