輪廻転生
理不尽な人生
妹の死
1976年10月、神奈川横浜市のとある病院に入院している少女がいた、名前は阿部理子当時15歳中学3年生、理子は末期の小児がんだった。そこに毎日、兄祐太朗が見舞いに来ていた、毎週土日には両親も来ている。また祐太朗の家庭は崩壊寸前だった。父親は暴力団幹部で覚醒剤事件を起こし先月まで刑務所に服役していた。出所後は暴力団に戻っている。母親も暴力団幹部であり覚醒剤所持の罪で昨年に横浜地裁で懲役2年執行猶予4年の有罪判決を受け現在執行猶予期間中である。祐太朗自身も中学生の時覚醒剤所持で現行犯逮捕され4ヶ月程少年院に入院していた前歴がある。しかし祐太朗は退院直後に音楽にであい更生を誓い歌手になるべく努力を重ねてきた、それが実って芸能関係者にスカウトされた。先月から理子の病状は悪くなっていった、やがて冬になり、そして大晦日、祐太朗は理子と一緒にテレビを見ていた。理子「そろそろだね」祐太朗「後数分で今年も終わりか」、テレビ音声「新年まで残り10秒、9、8‥‥2、1、1977年を迎えました。」祐太朗がテレビを切った。祐太朗「寝よう」理子「うん」翌日、2日、理子の病状がさらに悪化していく、祐太朗「理子は?」医師「ほぼ末期です。手は尽くしましたが」祐太朗「そんな」両親は下を向いたまま、父親「ごめん、理子、祐太朗」祐太朗「親父」、それから危険な状態が続き、10日、夜、祐太朗が理子の見舞いをしていると、理子「ねぇお兄ちゃん、毎日見舞いに来てくれてありがとう」祐太朗がデビュー予定の曲を歌い始めた、歌い終わると、理子「歌手デビューしてね、お兄ちゃん、また生まれ変われるならお兄ちゃんの妹として生まれ変わりたい、さようなら」理子は意識を失い容態が急変した。祐太朗「理子、起きてよ」祐太朗は泣いていた。翌日、理子は亡くなった。それから祐太朗はいつも以上に歌やギター、ピアノの練習に没頭していった。