高天原異聞 ~女神の言伝~
第三章 禍つ神々

1 闇の領界



「闇の先触れが、女神を見つけたぞ。国津神に阻まれたがな」

 暗闇の中で、美しい琥珀色の瞳が瞬いた。
 視線の先には、腕を組んで立つ大柄な国津神と、随伴神が控えている。

「それで? 目覚めた我々を呼び出したのは何故《なにゆえ》だ」

 暗闇にいることが不本意なように不機嫌な神が、闇の主に問う。
 神気が暗闇の中で揺らめき、怒りを露わにしている。

「取引を。私は約定に従って、女神を取り戻したいだけだ。我が遣いだけでは心許ない。故に、そなたたちに我が遣いの手助けを頼みたいのだ」

 闇の主の禍々しい気が、神気に呼応し、揺らめく。

「天津神が目覚める前に、女神を連れ戻すこと。私の望みはそれだけだ」

「見返りは?」

「豊葦原を。再び、あの国を取り戻したいのだろう? 女神が戻れば、女神を護る中つ国の国津神は再び眠りにつくしかない。天津神々は、未だ豊葦原には干渉できぬ。そうなれば、あの中つ国はそなたたち忘れ去られた神々のものだ」

「豊葦原をほしいと思わんのか? お前たち黄泉神々は」

 その問いに、闇の主は声なく嗤う。

「我々は闇の領界を司りし神。ここより何処へも往けぬ。豊葦原の光は、我々には強すぎる」

 女神さえいれば、それでいいのだと、闇の主は思う。
 あの美しき、つれない女神が傍にいてくれれば。

「――」

 闇の主の言霊を信じきれぬ国津神は、頭を一つ振った。

「戻って、考える。返答は、その後だ」

「それがよかろう。よい返事を待つ」

 国津神と随伴神は、暗闇の回廊を抜けて戻っていった。

「さて、戯れはもう終わりだ」

 ゆらりと、闇の主は立ち上がる。
 闇の遣いはすでに中つ国の領界へと着いた。
 忘れられた神々の協力があれば、程なく女神を連れ戻すことはできる。
 天津神々によって中つ国を追われた神々だ。
 再び中つ国を取り戻すために協力するだろう。
 忘れ去るには、豊葦原の中つ国は美しすぎるらしい。

 神々にとって、手に入れずにはいられぬ国。
 還りたいと思わせる国。

 闇の領界でしか生きられぬ自分にはわからぬ思いだが。
 だからこそ、女神も去った。
 捕まえたら、もう二度とここから出すまい。
 待つこともしない。
 女神を待つのに慣れすぎていた自分がほんの一時、心をよそに移し、目を放した隙に、女神は闇の領界から逃げ出してしまった。
 それからずっと、女神は何処にも現れなかった。
 だから、捜し出せなかった。
 だが、女神が再び男神と出逢ったことであらゆる神々が目覚め始めた。
 神々が集うところに、女神がいる。
 今度こそ、逃がさない。
 この手を放せば、二度と戻ってこないことはすでに思い知ったから。

「終わりにしなければ――」

 後には、また独り、闇の主が残される――
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