高天原異聞 ~女神の言伝~
 その言葉に、美咲は耳を疑った。

「莫迦なこと言わないで!! あれは神話よ。作り話だわ」

「いや、あれは真実だ。過ぎたる世の、本当の物語。中身は違っていても、古来この大八洲を構成した伝え語りは真実に近い」

 莫迦げていると、再度言おうとした。
 けれど、目の前の男の眼差しは真剣だ。
 そして、きっと、嘘は言わない。
 隠していることがあっても、嘘は言えないと、美咲は感じた。

「何も思い出せないか?」


「……懐かしいと、思うことがあるわ。そして、夢を見るの。いろいろな夢。あれが、もしかして前世の記憶なの?」

「多分な」

「――でも、おかしいわ。確かに、夢は見るけれど、混ざっているもの。あれは伊邪那美の物語じゃない。別の女神の夢だわ」

「それは、俺にはわからん」

 建速は肩を竦めた。

「俺も、全てを知っている訳じゃない。だが、知っていることなら、嘘は言わん」

「でも、知っていることを全部話す訳でもない」

 美咲の言葉に、建速は声を出さずに笑った。

「頭のいい女だな。俺はそういう女が好きだ」

「あなた、もうひとつ名前があるでしょう?」

「ああ。今の豊葦原では、そちらのほうが知られているが、親しいものはみな建速と呼ぶ」

「じゃあ、建速、なぜ私を救けてくれるの?」

「あんたが俺の大事な女だから」

「でも、会ったことないわ」

「そう――俺はいつでもあんたを捜して捜して、それでも見つけられずにこの地を果てしなく彷徨ってた。
 見つけられるはずがないんだよな。あんたはずっと黄泉の囚われ人だった。そこから逃げ出すのに、必死だったろう。逃げ出した後も、決して捕まらないように。伊邪那岐しか知らない、それは黄泉神との密約だったから」

「密約?」

「伊邪那岐は自分の妻を黄泉神に下げ渡したのさ」

 建速はあっさりと告げる。

「伊邪那美は最後の子として火之迦具土を産んだ。だが、それにより全ての神威を使い果たし、神去らねばならなかった。神去りとは神霊の新たな変化を指す。加えて、黄泉神と伊邪那岐の誓約《うけい》により、伊邪那美はもうその身を高天原にはおいておけなくなった」

 そのくだりは、美咲が書庫で読んだ古事記に書かれてある内容と似通っていた。

「そしてあんたは、今度は黄泉神との間に、黄泉の國産みをしなければならなくなったというわけだ。夢を見ただろう? 俺が起こす前に。あれが真実だ」

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