高天原異聞 ~女神の言伝~
9 誓約
美咲の腕が縋り付いていた建速の腕からぱたりとカウンターに落ちた。
それに合わせて、建速が美咲から唇を放した。
「大丈夫なのか」
横から不機嫌にかかる声。
「ああ。悪しき言霊は消した。記憶は残るが、大丈夫だろう」
「ならどけ」
肩を引いて、慎也は建速を美咲の身体の上から離す。
そのまま、美咲を守るように抱き起こす。
意識がなくても流れた涙の跡が痛々しかった。
指でそっと拭うと、胸の中にしっかりと抱きしめる。
引き裂かれたシャツをかき寄せたとき見えた白い肌には、見せつけるようにつけられた鬱血の痕があった。
手首には押さえつけられた跡もある。
誰かが美咲に無理矢理触れたのを考えるだけで、怒りがこみ上げる。
「車を出すから、美咲を連れて行け。アパートは安全だ。守りがついてるから、中に入り込まれることはない」
「あんたが信用できるかまだわからない。俺は自分を襲った男しか見てない。美咲さんを襲った男は見てない。それがお前じゃないなんて保証ないだろ」
その言葉に、建速は面白そうに笑った。
「俺が美咲を襲っておいて、途中でやめて、お前を起こしたとでも? 莫迦げている。第一、そこの壁や床に散っている血の跡はどう説明する? 服を脱いで身体を見せろとでも?
俺は敵ではない。最初に言ったように、お前と美咲を護る者だ。最も、俺の本来の目的は、美咲を捜し、あらゆる者から護ることだがな」
「美咲さんを? なぜ?」
「記憶のないお前に、語る言霊はない。今は黙って美咲を連れて行け。でなければ俺が連れて行くぞ」
美咲を強く抱き寄せ、慎也が建速を睨みつける。
手追いの獣が牙を剥くようなその様子に、建速は息をつく。
声を和らげて、促す。
「お前と美咲は、対の命《みこと》だ。俺は、決してお前達を引き離しはしない。お前達を引き離そうとする者達から護るためにここにきたんだ。今は俺の言っていることがわからないだろうが、話は、美咲が目覚めた後だ。今は、連れて行って休ませろ。言霊を消すために、負担をかけた。多分熱が出る」
建速は美咲と慎也が座っている業務用机の前に膝をつく。
「――」
「俺の命《みこと》に懸けて誓う――祖神《おやがみ》で在らせられる男神と女神の末である建速が、御前に罷りこし、奏上致す。古の約定に従いて、御身を護るために参上した。許し給え」
その言霊の力に、一瞬慎也は言葉をなくし、
「許す――」
それだけを辛うじて答えた。
唇の端を上げて微笑むと、建速は立ち上がる。
「では、美咲を連れて行け。姿は現さないが、お前と美咲をいつも護っている。何かあれば俺の名を呼べ。いつでも駆けつける」