高天原異聞 ~女神の言伝~
ここで待つよう女神は言った。
生者はこの門より中へ入られない。
だから、自分が行ってくると。
黄泉国の暗闇の回廊で成りませる神、黄泉日狭女と八雷神を置いては行けないと、女神は門の内側へと戻っていった。
門に消える愛しい姿を見送って不安になる。
また、離れてしまうような気がした。
二度と、逢えないような――そんな気が。
頭を振って、そんな考えを追い払う。
離れてなど、生きられるわけがない。
自分達は対の御霊。
対の命。
ともにいられぬなど、有り得ない。
「何をしに来た」
不意にかかる声に、男神は驚いて顔を向ける。
そこには、美しい琥珀の瞳をした闇の主が立っていた。
「女神を、迎えに来たのだ。連れて帰る」
その言霊に、闇の主はうっすらと嗤った。
「これはおかしなこと。女神は神去り、すでにその身は死の女神と成られた。黄泉返ることなどできぬ」
「では、我もここに残る。女神といられるなら、黄泉国だろうと何処だろうと構わぬ」
闇の主の明らかな侮蔑を含んだ嗤いが暗闇の回廊に響き渡る。
「誓約は成されたのだ。覆すことはできぬ。疾く去れ。ここは死の国。生者の穢れを持ち込むな」
「女神を残しては去れぬ!!」
「いいや。去るのだ。去らねば、わが黄泉国の黄泉軍《よもついくさ》が、そなたを嬲り殺すであろう。それだけではない。そなたが誓約を守らぬのなら、我が黄泉軍はその代償を豊葦原に求める。女神のためだけに、豊葦原の中つ国を黄泉の領界とするなら、私はそれでもよい」
「!!」
返すべき言霊を探せぬ男神は、青ざめたまま膝をつく。
「疾く去れ、暗闇の回廊の終わり、黄泉比良坂に到るまでの時は与えよう」
「――せめて、せめて最後にもう一度、女神に。一言別れを……」
「くどい」
狼狽える男神に、黄泉神の鋭い言霊が響く。
「猶予は与えた。黄泉比良坂で黄泉軍に捕らえられ、嬲られようと、それは私の与り知らぬところだ」
「……」
冷たく男神を見据える黄泉神は、それ以上微動だにしない。
男神はよろめくように立ち上がった。
閉ざされた門を、遠い目で見つめ、
「伊邪那美――愛《うつく》しき我《あ》が那邇妹命《なにものみこと》」
一言呟いて、走り去った。