高天原異聞 ~女神の言伝~

 次の土曜日、美咲は熱を出してベッドから起きあがれなかった。
 慎也が甲斐甲斐しく世話を焼いてくれて、ずっと傍にいてくれたおかげで、夜にはどうやら熱も下がった。
 だが、日曜の朝が来て体調は良くなっても、美咲の恐怖は治まらなかった。
 どうしても次の日のことを考えてしまう。
 月曜日の朝、自分はあの図書館で何事もなかったように働けるのだろうか。
 昼間は何とか大丈夫だろう。

 だが、日が暮れたら?

「――」

 図書館に行きたくないと思ったのは、初めてだった。
 そんな美咲の心の動きを、慎也は見抜いていた。
 美咲がシャワーからあがると、

「美咲さん。外行くから着替えて」

 そう慎也は言った。


 アパートの前には、黒い外車が止まっていた。
 後部座席に乗り込むと、運転席にいた男がミラー越しに挨拶した。
 慌てて、美咲も会釈する。
 そのまま、車は静かに進み出す。

「何処に行くの?」

「着けばわかるよ」

 慎也はそれだけしか言わなかった。
 美咲には訳がわからなかった。
 まず、この車は何なのだ。
 なぜ、自分達を乗せているのだ。
 運転手の男は?
 それを使う慎也は?
 だが、運転席の男が聞いているのに、ここで質問するのも躊躇われる。
 そうこうしているうちに、車は見慣れた角を曲がり、裏門から敷地内へ入った。
 学校だ。
 この先に行くなら――図書館だ。
 美咲の顔色が変わる。

「なんで……」

 車が止まると、慎也は運転席の男に礼を言った。

「いつでもご連絡ください。お迎えにあがりますから」

 どこか嬉しそうな男に、戸惑いながらも礼をして美咲は慎也に腕を引かれて車を降りた。
 車が走り去ると、慎也は美咲の腕を掴んだまま職員玄関へと進む。
 慣れた手つきでセキュリティを解除して、カードを戻すと、鍵を開けて中へと美咲を入れて、もう一度鍵をかける。

「あの車、何? 何でここに来たの?」

「建速が準備してくれた。昨日の帰りも、あれで美咲さんを運んだんだよ」

 そのまま図書準備室に入る。
 早朝で、まだ、少しひんやりとした空気は心地よかった。
 いつもの机。
 いつもの職場だ。
 ほっとしたのもつかの間で、慎也はさらに進んで、館内へと続く扉へ向かっている。
 そこで初めて、美咲は足を止めて抗った。

「いやっ!!」

 慎也が足を止めて振り返る。

「もう金曜日みたいなことは起こらないよ。建速が言ってた。明日から仕事でしょ。ちゃんと見て、安心した方がいい。ずっと怖がってたのわかってる」

 慎也の気遣いはわかる。
 だが、怖いものは怖いのだ。
 カウンターに立ちたくない。
 襲われたときのあの恐怖感と嫌悪感、何より絶望感を、思い出すのが嫌なのだ。

「……」

 どうしていいか泣きそうな顔で黙って見上げている美咲を見て、慎也は大きく溜息をついた。
 そのまま、身を屈めて、美咲を子どものように抱きかかえる。

「慎也くん!?」

 館内へ続くドアを開けて、美咲を抱き上げたまま中に入った。



< 172 / 399 >

この作品をシェア

pagetop