高天原異聞 ~女神の言伝~
熱に浮かされたような交合いが終わり、事代主は我に返った。
「――何と言うことを……」
母神と交合った。
しかも、憑坐の身体で。
何かに取り憑かれたように我を忘れた。
そのことが、恐ろしかった。
「――」
母神は未だ目覚めない。
その白く滑らかな肌にはいたるところに赤い花が散っていた。
慌てて手をかざし、神威を送り込む。
見る間に、肌はもとの白さを取り戻し、情交の後などなかったかのように清らかになる。
事代主はほっとすると同時に、母神に夜着を着せ、帯を締める。
掛け布を胸元まで引き上げてやると、そこには何事もなかったかのような静寂のみ。
母神が目を覚ますと同時に結界が切れるようにして、事代主は誰にも知られぬように自室へと逃げ帰った。
扉を閉めると同時に、その場に座り込む。
「……」
信じられなかった。
自分は何をしたのだ。
意識のない母神と交合うなど。
まるで自分が自分でないようだった。
操られるように母神の美しい身体を貪った。
ああ。
けれど、それは今までに感じたこともないような甘美な交合いだった。
神去った父神が恨めしい。
母神の心を今も占める父神が。
甘くその名を呼ぶ母神の声音が耳を離れない。
自分の名を、呼んでくれたら――そう思わずにはいられなかった。
「どうであった? 愛しい女神をつかの間であれ手にした気分は」
「!?」
その声に、はじかれたように顔を上げる。
暗闇の中、美しい黄泉神が闇よりもなお濃い漆黒の衣を身に纏い立っている。
長い髪は結われることなく肩に、背に、流れている。
うっすらと笑みを浮かべて立つその美貌に、事代主は一瞬語るべき言霊を見失った。
「……そなたの、差し金か」
憎しみも露わに睨みつける事代主に、闇の主は嗤った。
「そう思いたいのなら好きにするがいい。私は、否定しながらも心密かに夫を恋うる憐れな比売に、一時の夢を見せただけ。それに乗じたのは、そなたであろう」
「――」
「何、そなたを責めたりはせぬ。欲しければ、どのような手を使ってでも手に入れればよい。私とてそうする」
「何が、望みだ……」
「話が早くて助かる。簡単なことよ。そなたを縛る禍つ御霊――堕ちた比売神に用がある」
「木之花知流比売に――?」
「そうだ。上手くすれば、そなたを縛る、その呪詛から逃れられるぞ」
事代主には、闇の主の思惑が未だ読めない。
戸惑う事代主に、闇の主は宥めるように微笑む。
「そなたが須勢理比売を愛おしみ、護りたいと欲するように、私も伊邪那美が欲しい。そのために、私は比売神に会わねばならぬ。そなたはただ、頷くだけでよい。それでそなたは呪詛から逃れ、須勢理比売も建御名方も護れる」
「……」
呪詛から逃れる。
それは抗いがたい誘惑だった。
この呪詛の紋様がある限り、自分は木之花知流比売には逆らえない。
それでは、いざというとき、大切な母神も兄も護れない。
「私の願いを叶える事は、そなたの益ともなるのだ。悪い取引では無かろう」
「母神にも兄上にも、真に害はないのだな」
「言霊に誓おう」
神は誓いを破る事は叶わない。
ならば。
「よかろう――」
闇の主が微笑んだ。