高天原異聞 ~女神の言伝~
「そなたが、黄泉神か」
「さよう。お初にお目にかかる。堕ちたとはいえ、さすがに国津神の幸わいとまで謳われた比売神――美しい」
木之花知流比売は、長く美しい指を持つ手が、自分の手をとり甲にくちづけるのをじっと見ていた。
「戯言など聞いている暇はない。取引を。そのために呼んだのだ」
「日嗣の御子の身柄を私に差し出すのか? 何が欲しい?」
「差し出すのではない。一時、この身体を黄泉国で預かってくれればよい。見返りはそちらが望むものを」
「我の願いはただ一つ――伊邪那美だ」
「よかろう。ことが終われば豊葦原を探し出し、伊邪那美を引き渡そう。この男はこともあろうに私の妹と太古の女神を見誤った。我ら国津神が探せば間違いはない。これでよいな」
「よかろう。美しき女神には逆らえぬ」
揶揄するような闇の主の物言いに、木之花知流比売は挑むように睨みつける。
「では、言霊に誓え。さもなくば信じられぬ」
「私が、裏切ると?」
「男など容易く裏切る。そこの日嗣の御子のようにな」
その言霊に、黄泉神は咲った。
その場に相応しからぬ美しさで。
「何がおかしいのだ」
「いや。裏切りは、果たしてどちらにあったのか……」
黄泉神が詠うように語る。
つと伸びた指先が、木之花知流比売の額に触れた。
咄嗟に、比売神はその手を振り払った。
「何をする、無礼な!!」
だが、黄泉神は今度は美しい顔を歪めるように嗤った。
背筋を凍らせる、冷たい嗤いであった。
「愚かな比売神。そなたにも過ぎ去った過去を見せてやろう。そなたの愚かさがもたらした、真実の物語を――」