高天原異聞 ~女神の言伝~
2 始まりの恋
美咲が目を覚ますと、そこは再び暗闇であった。
仰向けに倒れていた身を起こすと、自分の姿だけが暗闇にぽっかりと浮かんでいる。
「慎也くん」
応えはない。
声を大きくしても同じだだった。
「建速? いないの?」
必ず救けると言った建速も姿を現さない。
美咲は途方に暮れた。
胸元にかかる勾玉の首飾りに触れてみる。
この特別な暗闇のせいなのか、首飾りは仄かに淡い光を発していた。
名を呼べば神威が解放されると聞いたが、思い出せない。
まだ、その時ではないということか。
説明を受ける間もなく、根の堅州国に入った途端、強い想いに引きずられるように意識が途切れ、慎也のところへ行った。
あれが慎也の夢なら、今ここに一人で居るのも、誰かの夢の中と言うことなのか。
何が、自分を呼んだというのか。
「え……!!」
淡い光を放っていた首飾りが、一瞬だけ熱を持ったように感じた。
だが、それはほんの一瞬で、光も熱と共に消えていた。
その代わり、目の前の暗闇に、小さな光が見える。
点のように小さかったそれは、近づくほどに僅かに大きさを持ち、美咲の目の前に来る頃には両手で包み込めるほどの大きさとなっていた。
美咲はその光をじっと見つめて、思わず息を漏らした。
「……」
小さく可愛らしい神が光の中に立っている。
髪は左右に分けて下げ髻《みづら》にし、筒袖の衣と褌を身に付け、腰を帯で、膝下を足結《あゆい》で締めている。
首には美咲が今着けているのと同じような勾玉の首飾りが揺れている。
顔立ちは、青年のようにも少年のようにも見えた。
思わず美咲は、両手の平を上にしてその光を掬うように差し伸べた。
光の中の神は、そのまま美咲の手の中に足を着ける。
僅かな質感に、思わず微笑む。
「あなたは、どなた?」
「我は小さき神。しばし、我にお付き合い頂きたい、女神よ」
身体は小さくとも、声はきちんと美咲に届く。
「記憶がなくても、いいのですか?」
「記憶がなくとも。根の堅州国に来られし貴女様は紛れもなく太古の女神伊邪那美様で在らせられる。貴女様を待っておりました。ずっと、お捜していたのです」
「伊邪那美を?」
「我にはわかる。貴女様が、我々をこの呪われた微睡みから救ってくれると」
「救う……? 呪われた微睡みとは、何なのですか?」
小さき神は、密かに笑んだ。
「それは、叶えられなかった夢。私と己貴の、命を懸けた願いだった――」
不意に、何かに引かれる感覚がした。
美咲は、手を下げ、小さき神を静かに下ろそうとした。
だが、小さき神は片手を上げてそれを遮る。
「何かに、呼ばれています」
「恐れることはない、女神よ。そなたは夢を視るのだ。過ぎ去りし、神代の夢を。
夢はそなたを傷つけぬ。身を委ねよ。そして、叶えられなかった最後の夢を、叶えて欲しい」
神の言霊に、美咲は抗うことを止めた。
そのまま、身を委ねる。
首飾りが、また熱を放っていた。温かく、包み込むように。
波の音が聞こえる。
潮の香りがする。
暗闇が溶けるように消え去り、目の前に、海が開けた。
そこから動いていないのに、意識だけが飛び去った。
美咲はその時、自分が風になったと思った。