高天原異聞 ~女神の言伝~
2 道往神
――往ってしまうのか。
――すぐに戻る。日嗣《ひつぎ》の御子様が嫡妻《むかひめ》様を娶ったと言うので、言祝ぎと新しく住まう館の様子を見てくる。
――一度往ったら、すぐには戻ってこれぬだろう。
――そうだな。だが、できるだけ早く戻ってくる。これを置いていくから、待っていてくれ。
――この比礼《ひれ》は……?
――私が高天原から降りし時に身に付けていたものだ。
――ああ、そうだ。初めて出逢った時も、そなたはこれを身に纏うていた。その美しさに、一目で心を奪われた。あれから俺は、ずっと幸せだ。それなのに、そなたと離れるなど耐えられぬ。俺をおいて、天へ還ってしまうような気さえする。
――何を莫迦なことを。我々は夫婦となったのだぞ。背の君をおいて天へ還るわけがなかろう。
――だが、不安なのだ。このまま離れたら逢えなくなるのではないかと。俺のような国津神が、そなたのように美しい天津神を得るなど、不相応なのではないかと。
――これが証だ。そなたのもとへ必ず戻るという。私はその比礼なくば天へは還れぬ。だから、天へは還らず、必ず戻ってくる。そして、そなたと共に暮らしていく。
――では、待っている。そなたが戻ってくるのを、俺はずっと待っている。
幸せだった日々。
あまりにも短く、今は遠い。
その誓いが果たされることは、なかった。
自分のせいで。
果たされぬと知っていたなら、自分は誓っただろうか。
言霊が互いを縛りつけ、未だ何処にも往けず、自分は今もあの日の誓いを忘れずにいる――