高天原異聞 ~女神の言伝~
「神田比古、何故――」
「待て、宇受売」
神田比古が手を挙げ、それを留める。
「歩きながら話そうではないか。そなたらは、急いでいるのだろう?」
宇受売は、咄嗟に振り返る。
背後には、建速らも立ち止まり、自分達を距離を置いてくれている。
そんな彼らに一礼すると、
「わかった」
素直に宇受売は頷いた。
神田比古も頷き、肩まである長い杖をつきながら歩き出す。
その横を、宇受売もついていく。
「そなたの憑坐は、顔立ちも少し似ているのだな。すぐにわかったぞ」
宇受売を見下ろす神田比古の眼差しは、愛しさに溢れていた。
横から見上げる宇受売は、何だか、泣き出したいような気分になった。
「そなたも、変わらん」
その眼差しを見返すのが辛くて、宇受売はやや視線を下げる。
「そういうわりには、俺にすぐに気づかなかったようだが。初めて逢った時とて、俺は面をつけていたのに」
「面が違うではないか。あの時は、そなたは獣の面をつけておった」
「面をつけているからこそ、すぐにそなたにはわかると思ったが――永い時が流れたから、仕方あるまい」
面白そうに咲い、神田比古は先を続ける。
「何故、ここにいるのかと問うならば、簡単だ。神去りし後は、この黄泉路の道案内となった」
「――私はそなたがすぐに黄泉返ると思っていた」
宇受売は、呟くように言った。
そう――すぐに黄泉返ると思っていたのだ。
だから、世界の理が代わり、それぞれの領界が隔てられようとしていても、随伴神達と共には高天原に還らなかった。
神田比古が黄泉返るのを、人間達に封じられるまで、捜し、待っていた。
それなのに、当の本人は豊葦原でもそうだったように、黄泉でも道往神となっていたとは。
何だか、腹立たしくなってきた。
「私は、ずっと待っていたのだ」
下から、自分を睨みつける宇受売に、神田比古は困ったような、嬉しいような、曖昧な表情をした。
「それは、悪かった。だが、俺は、正直そなたが待っていてくれるとは思わなかった」
「何故!?」
「誓ったではないか。最初の妻問いで。俺が生きている間だけ、傍にいて欲しいと。そう言って、渋るお前に妻になってもらったのだ。俺は死んだのだから、当然そなたは天に還ったと思っていた」
「神田比古……」
その言霊は、宇受売には衝撃だった。
確かに、妻問いでそう言われた。
だが、夫婦となって、背の君となった男に、そんなにあっさりと割り切られたのだと信じられなかった。
最後のあの時、ずっと待っていると言ったのは、必ず戻るから待っていろと告げたのは、互いの誓いは、何の意味もなかったのか。
「黄泉返りを、望まなかったのか……?」
神田比古は驚いたように宇受売を見つめる。
「全てを忘れて? それは無理だ。俺には、生きていた頃の記憶が愛おしい。たとえ全てがもう戻らぬとわかっていても、忘れて只人として生きていくことなどできぬ。そなたにはできるのか?」
「――」