高天原異聞 ~女神の言伝~
宇受売には答えようがなかった。
自分達が死ぬなど、考えたこともなかったからだ。
人間に神として祀られ、神域に封じられはしたが、それは死ではない。
人間には、神は殺せない。
封じられることがあっても、死ぬことはない。
造化三神を含む別天津神《ことあまつかみ》と、神代七代《かみよななよ》と言われる神々の末はとても強い神威を持つ神々だからだ。
そして、強き神々の末である天津神には、死は無縁のものだった。
神は、神にしか殺せないのだ。
そして、高天原の神は、決して互いに争わぬ。
天の理に従うため、殺し合うほどに争う理由がないのである。
だが、豊葦原は違う。
弱き神々は、死を迎える。
美しき国を争い、殺し合う。
天津神が見過ごしてはおけぬほどに。
豊葦原にあっては、神々さえも殺し合い、死んでいく。
高天原にあっては、神々は争わず、死ぬことはない。
天と地は、同じ女神の末でありながら別の理の中に在る。
天津神と国津神は死によって永遠に隔てられてしまったのだ。
それは、祖神伊邪那美の呪いか。
初めて死を迎え、天を追われ、死の女神となった母神の想いが、恋しい子らを黄泉へと引き寄せるのか。
「私を許さずともよい……」
その言霊に、神田比古は眉根を寄せる。
「何故そのようなことを言う? 俺はそなたを恨んだことはない。そなたが俺に許されぬほどの何をした?」
「――」
神田比古は、自分のせいで死んだのだ――そう宇受売は言えなかった。
だが、宇受売の表情から心を読んだように、神田比古は頭を振る。
「俺が死んだのは、そなたのせいではない。俺の甘さが、死を招いたのだ」
「だが――」
豊葦原を奪いに来た天津神の随伴神に心奪われたことをよく思わぬ国津神によって、神田比古は海に引き込まれ、殺された。
天孫の日嗣の御子が豊葦原を統治するのを、国を奪われたと思う神もいたことは事実なのだ。
宇受売にはわからなかった。
もともと豊葦原は、天津神である伊邪那岐と伊邪那美が産んだものだ。
そこにいる神々も、もとは天津神だったのだ。
豊葦原を愛し、そこに住まうのはいい。誰でも思うところで暮らせばいい。
だが、天孫の日嗣の御子は國産みの女神の末であり、正当な豊葦原の後継者なのだ。
何故、奪われたと思うのだろう。
豊葦原は国津神のものではない。
人間のものでもない。
彼らは争うことなく統治することはできない。
血を流さねば、殺し合わねば、豊葦原に君臨できない。
だからこそ、認めることができない。
だからこそ、豊葦原は、高天原に在らせられる女神の末のものなのだ。
揺るぐことなく。
紛うことなく。
それが、天の理だった。
「宇受売。俺は幸せだった。共に在れた日々は短かったが、悔いなどない」
その言霊は、偽りなく響いた。
「得難き天女を得たのだ。俺ほど幸福な国津神もおるまいよ」
「神田比古――私も幸せだった。どんなに短くとも、共に在った日々を忘れることなどできなかった」
それでもと、宇受売は思う。
神田比古の妻問いを受けなければ、彼は神去ることはなかったのだ。
神田比古とともに日嗣の御子のもとを去らねば。
日嗣の御子が、誤解し、嫡妻を冷たく返さなければ。
嫡妻が、産褥で神去ることがなければ。
もっと早く、神田比古のもとへ戻っていれば。
神田比古を失ってから、宇受売は豊葦原を彷徨いながら問い続けた。
全てが、宇受売の中で未だに後悔として燻っている。
「――」
そっと、宇受売は神田比古の腕に触れた。
死神で在っても、温もりは変わらない。
見返す眼差しも。
微笑みも。
その心も。
それでも、なぜだかひどく、互いが遠くに感じられた。
それほどの時が過ぎ逝きたのだと、宇受売はまた泣きたくなった。