高天原異聞 ~女神の言伝~
木之花知流比売が消えた後。
「宇受売、何か来る」
唐突に神田比古が告げた。
「神田比古?」
「見よ、闇の扉だ」
神田比古が指さしたのは、闇の異界の扉だった。
「建速様!!」
宇受売の声と同時に、神々の視線が闇の異界の扉に集まる。
異界の扉に、白い亀裂が斜めに走っていた。
それは、扉の前に立っていた比売神を斬った、炎の剣の神威の名残だった。
亀裂は大きな一筋からゆっくりと幾筋も広がり、闇を砕くかのように扉いっぱいに広がった。
そして。
「!?」
内側から扉が弾けるように砕け落ち、中から真紅の炎と白皓の炎が軌跡を描いて飛び出してきた。
一方は瓊瓊杵のもとへ。
もう一方は建速のもとへ。
白い炎に包まれて、慎也の姿のままの伊邪那岐の神霊が己の現身《うつしみ》の肉体へと飛び込んだ。
「ああっ!!」
瓊瓊杵がその衝撃に膝をつく。
「瓊瓊杵様!!」
傍らの咲耶比売も膝をついて夫を案じる。
衝撃に息を乱してはいるが、瓊瓊杵は咲耶比売に微笑む。
「大丈夫だ……祖神様が戻られた。祖神様の神気と神威を感じる」
もう一つの炎は建速が持つ剣へと吸い込まれ、刀身を彩っていた炎も同時に消えた。
「――」
建速は静かに剣を鞘に納めた。
何故、火神が祖神を護ったのかが気になるところだが、今はそれどころではない。
黄泉国全体が、無音の内に大きく震えた。
何かが、解き放たれた。
これは、かつて伊邪那岐を追った黄泉軍《よもついくさ》であろう。
「大神津実の処へ!!」
建速の言霊に、全ての神々が黄泉国の大門の前から消え、瞬く間に桃の木の立ち並ぶ路へと戻ってきた。
黄泉路では、未だ音なき振動が空間を震わせていた。
「黄泉軍が来る。千引の岩まで神威を使って戻るのだ」
宇受売が建速の前に跪く。
「私が時間を稼ぎます。建速様は祖神様を連れて先にお往き下さい!!」
宇受売が禍つ霊の比売神のように憑坐を捨て、神霊となった。
かつてのように高く結い上げた髪も、舞装束も、初めて高天原から天降りし時のままに、美しい巫女神の神霊が黄泉路に顕れる。
「私の憑坐をお願いします。お早く!!」
石楠が宇受売の憑坐を抱き上げる。
葺根を先導に、神々が神威とともに駆けて往く。
建速は宇受売の神霊に向かって言霊を発した。
「必ず戻れ――ぎりぎりまで待つ」
「戻ります、必ず」
宇受売は艶やかに微笑んだ。