高天原異聞 ~女神の言伝~
「神田比古、なぜ、往かぬ?」
傍らに在って動こうとしない神田比古に、宇受売は怒ったように声をかける。
「俺が往ってどうなる。俺は死神《ししん》なのだから、現世には戻れぬ。ここでそなたを手伝おう。黄泉軍と戦うことぐらいできようぞ」
神田比古が咲って、杖を構える。
程なく、黄泉国へと通じる路の向こうから、大鎌を持った闇が近づいてきた。
「これが、黄泉軍か……」
宇受売はその奇怪な人形《ひとがた》に美しい容を顰めた。
黄泉軍――それは、黄泉大神と言われる闇の主が黄泉国の闇を使って創り上げた命なき命。
人間が捨て去った情念や憎悪を吹き込んだ人形《ひとがた》。
九十九神よりも劣る、神とも呼べぬ念である。
それでも、後から後から湧き出るように出てくるのは、主の命に忠実であるからに他ならぬ。
伊邪那美を追い、連れ戻すのが彼らの役目。
邪気を祓う桃の木も、いまはその霊威を鎮め、微睡みの中にある。
ここを越えられては、現世まで追いつかれる。
桃の木を背に、宇受売は黄泉国から追ってきた黄泉軍に対峙する。
命を刈り取る大鎌を持った黄泉軍を、空を蹴って斬り倒す。
呆気なく、大鎌が落ち、斬られた黄泉軍が霧散する。
しかし、しばらくすると大鎌が持ち上がり、また黄泉軍が人形を創り上げる。
「こやつらも、死なぬのだな!!」
「命なきものだ。消えるだけで、また闇から戻るようだな」
神田比古は襲いかかる黄泉軍を次々と杖で打ち倒していく。
きりのない攻防を、繰り広げる宇受売と神田比古。
だが、徐々に黄泉軍の戻る速さが衰えてきた。
さすがに神威を込めて打ち倒されれば、闇の神威も再生力が衰えるのだろう。
不意に、人形が大鎌を捨て、一斉に神田比古に飛びかかった。
「何!?」
驚いた神田比古が杖で打ち倒すが、間に合わない。
足と手に、霧散したはずの闇が人形を取ることを諦めて絡みつく。
神田比古の手から、杖が落ちた。
そのまま、神田比古の腕を、足を、闇が貫き、縛りつける。
「神田比古!!」
「俺のことは構うな。こやつらには、俺は殺せん。俺はすでに死んでいるのだ。こやつらの目的は俺の動きを止めることだけだ。戦え、宇受売。成すべきことを為せ」
神田比古の言霊通り、闇は神田比古の動きを留めたのみで、それ以上は何もしない。
宇受売は両手に持った剣を逆手に持ち替え、
「よかろう。黄泉軍よ。天津神の神威、しかと見せてやる!!」
黄泉軍の中に飛び込んだ。
先ほどとは全く異なる速さで、宇受売は空を飛び回り、黄泉軍の中に飛び込んでは、神威で斬り倒し、また、飛びすさる。
天津神の神威は衰えることを知らず、いよいよ強く、輝くように煌めいた。
薄桃色の花びらが舞い散る。
その中で黄泉軍と戦う宇受売は、さながら舞うように美しかった。
神田比古はその姿を目に、記憶に、焼き付ける。
きっともう、二度とまみえることはないだろう。
これが、最後の愛しい者の舞う姿だ――