高天原異聞 ~女神の言伝~
暗闇の中、浮かび上がる路を頼りに、宇受売はもの凄い速さで千引の岩へと向かった。
その後ろを黄泉軍が追いかけてくる。
さすがに幽世《かくしよ》では、宇受売の比礼を以てしても引き離せない。
――宇受売、急げ。岩が閉じる。
建速の神話《しんわ》が届く。
顔を上げると、遠くに神気が感じられた。
千引の岩だ。
岩の手前に建速がいた。
岩の裂け目は開いていたが、徐々にその狭間は狭まっていた。
このままでは、黄泉軍も岩を越えてしまう。
――建速様、岩の向こうへ。黄泉軍を蹴散らしてから飛び込みます。
宇受売を追いかけてきた黄泉軍の間に飛び込み、一斉に群がってきたところを神威によって弾き飛ばす。
縦横無尽に飛び回り、黄泉軍が蹴散らされ、霧散する。
それから、千引の岩の裂け目へと再びとって返した。
――宇受売!!
すでに建速の姿はない。
千引の岩が閉じていく――
宇受売の神霊は、紙一重でその隙間を飛び抜け、岩の向こうの自分の憑坐の中へ飛び込んだ。
「またも、逃したか……」
美しい容が苦痛を堪えるかのように歪む。
だが、初めから何処か諦めていたような声音にもとれた。
禍つ霊の比売神を逃し、伊邪那岐の神霊も現世の身体に還った時点で、上手くいかないことは容易く想像についた。
完全に癒えぬ身体で神威もろくに使えぬ自分では、荒ぶる神や天津神、国津神の神威には到底勝てぬ。
好機を逃したが、それでも、まだ負けたわけではない。
その証拠に、癒えぬ身体でも、不思議と闇の神威が以前より強く感じられる。
完全に癒えれば、現世にも降りられるであろう。
自分の内に沸き上がる静かで強大な神威が、いずれ太古の女神を取り戻すことを証しだてするかのように漲るのを待てばよい。
ふと、傍らに控える九十九神に、闇の主は目を向けた。
深い眠りで癒えつつあるせいか、九十九神さえ力溢れているように見える。
「九十九神、そなたら以外に、此処に来たか?」
――いいえ。此処にいらした方はおりませぬ
「そうか――」
闇の玉座に深く背を預け、目を閉じる。
有り得ぬはずの、夢を視た。
とても甘美で、幸福な夢であった。
その余韻が、自分を惑わせているのか。
――主様。まだご気分が優れぬのですか
「大事ない。もう一度、眠る。起きたなら、豊葦原に降るぞ。今度こそ、我の手で伊邪那美を取り戻して見せよう――」
今度こそ。
欲しいものを手に入れる。
闇の主はまた、深い闇の眠りに落ちていった。