高天原異聞 ~女神の言伝~
暗闇の中、美咲は走る。
闇に捕まらないように。
捕まってしまったら、もう戻れない。
懐かしい、還りたい場所へは還れない。
だが、走っても走っても、そこは暗闇だけ。
仄かでいい。
微かでいい。
ほんの少しの光が在れば、還れるのに。
還りたい。
愛しい人に逢いたい。
想いが溢れて泣きたくなる。
ただ、一緒にいたいだけなのに。
どうして許されないの。
泣きながら、それでも走る。
諦めたなら、それで終わりだから。
涙が、頬を伝って落ちた。
滴が、淡い光を放って、周囲を優しく包む。
闇の中に、光が顕れた。
――母上様。
やわらかく自分を呼ぶ声。
立ち止まってそちらを向くと、美しい女神が、立っていた。
傍らには、麗しい男神が寄り添う、似合いの一対だった。
――母上様。お別れにございます。
美しい女神が告げる。
何故に自分に別れを告げるのかわからなかった。
だが、身を切られるような喪失感に泣きたくなる。
――大丈夫です。私達国津神はいつでもお傍におりますから。
それを聞いて、少し安堵する。
神は嘘をつかない。
だから、女神が傍にいると言ったのなら、それは本当のことなのだと、確信した。
星が降り注ぐように、細かな光が煌めいて、闇の中で幻想的な光景を創り上げる。
――黄泉国からの御帰還を、豊葦原全ての国津神が言祝いでいるのです。
問う前に、女神が咲う。
手を伸ばして、降り注ぐ光の雨をとらえようとした。
だが、それは、染み入るように消えて逝くだけ。
儚く、美しく、そして優しい煌めきに、懐かしいような錯覚にとらわれる。
こんな愛おしさを、何処かで感じたような気がする。
――現世に、戻られる刻《とき》でございます。残された時間は、全て愛しい方とともに在りたいと思うのが、私達国津神の願いなのです。
残された時間とは、どういう意味なのか。
だが、女神は美しく微笑むだけで、それ以上は何も語らない。
傍らに寄り添う男神が、告げる。
――お忘れ下さいますな。我ら女神の末は、貴女様から分かたれた命。何があろうと、心から、貴女様をお慕いしているのです。
言霊に込められた想いを、確かに感じた。
残された時間をともに。
それは、自分の想いでもあったのだ――