高天原異聞 ~女神の言伝~
4 愛しい日々
美咲が現世に戻ってきてから三日が過ぎた。
眠って、目が覚めたら、不思議なことに美咲は哀しい記憶だけ失っていた。
建速に問われても思い出せず、逆に聞いても、
「忘れてしまったなら、それは今の美咲に必要のないものだ。必要ならば、いつか思い出す」
そう言ってくれたので、美咲も気にしないことにした。
そうして、何事もなかったかのように慎也と二人、日常へと戻った。
美咲は仕事に。
慎也は夏期講習に。
すでに昼近くで、外の暑さはなかなかのものであるが、図書館の中は空調がきいているので、夏期講習後の生徒やら一般の利用者でかなりのものだ。
これから、生徒達は帰り、一般の利用者も昼食のために帰ることになるだろう。
図書の貸し出しも山中と二人でするほどだが、ピークを過ぎれば二人で昼食をとれるまで暇になる。
そろそろ返却された本を返しに行こう――そう思って立ち上がろうとすると、
「母上様。この本は書棚に戻せばよろしいのですか」
カウンターの向こうから声がかかる。
美里と莉子だ。
しかし、姿はそうであっても中身は違う。
その中には神が宿っている。
「いえ、あの、これは私の仕事だから」
「お手伝いさせてください。お役に立ちたいのです」
そうして、積み重なった本を、美里と莉子の中にいる久久能智《くくのち》と石楠《いわくす》が運んでいく。
「――」
仕事のなくなってしまった美咲は、困り果てて司書教諭の山中を見る。
「山――」
「どうぞお休みください、母上様。皆、貴女様のために何かしたいのです」
さらりと言われて脱力する。
そうだった――姿は山中でも、彼女も中身はやはり神なのだ。
天之宇受売命《あめのうずめのみこと》――それが、山中の中にいる女神だった。
聞けば、一緒に根の堅州国に向かったらしい。
行きはフードを被っていたし、途中からは自分の意識はほとんどなかったから、美咲は全く気づかなかった。
図書館の常連である斉藤には、大山津見命《おおやまつみのみこと》が、禍つ霊であった木之花知流比売《このはなちるひめ》はその娘である坂崎綾に憑き、彼女が祓われた今、その身体には自分の中にいたという木之花咲耶比売《このはなさくやひめ》が宿ったと聞いた。
神々は憑坐となれる人間に憑かねば現世に現象できないという。
神々の神気と神威を宿せる人間はそこら中にいるわけではないが、この高校や自分の周りにいる者の中に多く存在しているというのだ。
そう言う意味では、すでに、美咲の周囲に普通の人間はいないらしい。
そうして、そろいもそろって、皆が美咲のために何かをしたがる。
美咲は普通に仕事をしたいのに、誰も彼もが手を出し、美咲の仕事をやってしまう。
最初の一、二度ならばわかるが、美咲が椅子から立ち上がろうものなら、皆が慌てて駆け寄ってきて、悉く奪っていってしまうため、日常に戻ってからもう三日目であるが、美咲は座っているしかないのが新たな日常となりつつある。
「――」
大きく息をつくと、美咲は窓の外を見やる。
見ないようにしていたのに、つい視線を向けてしまえば、あとはもう視線をそらせなくなる。
そのいつも通りの景色さえ、今は違っていた。
図書館を囲む木々の濃い緑が、風に揺れて煌めいている。
美咲はその当たり前のはずの光景に、目を奪われ、心までも奪われる――