高天原異聞 ~女神の言伝~
――御子様、ご機嫌ですな。
大山津見の屋敷を去ってほどなく、神田比古《かむたひこ》が瓊瓊杵に声をかける。
――ああ。妻を娶るというのはいいものだ。神田比古も早く妻を娶るといい。
――出逢ってから、常に妻問いしておりますが、なかなか色よい返事をもらえませぬ。御子様に秘訣を伝授して頂きたいものです。
随伴神である天之宇受売《あめのうずめ》も勿論傍らにいて、神田比古の物言いに眉を顰める。
――神田比古!!
――秘訣か。断る隙を与えぬことだ。迷う暇《いとま》もなければ、頷いてくれるであろうよ。なあ、宇受売。
言霊を向けられて、宇受売は苦々しく神田比古を一瞥し、天孫の日嗣の御子に言霊を返す。
――生憎ですが、御子様。神田比古は隙だらけです。そのような男に嫁ぐ女はおりますまい。
――ふむ。では、今度は隙なく攻めてみるか。覚悟しておけ、宇受売。
――莫迦者が……そういう処が隙だらけだというのだ。
呆れたように呟く宇受売。
咲い合う神々。
豊葦原の平定は始まったばかりだが、神々は皆、前途洋々としていた。
――幸せなの、咲耶?
――幸せよ、これ以上ないと言うほどに。お姉様のお気持ちが、瓊瓊杵様と出逢って、初めてわかったの。愛する方がいるというのは、こんなにも愛おしくて、切なくて、喜ばしいことなんだと。
――幸せそうなそなたを見られて嬉しい。これなら、大丈夫ね。愛しい方と、いずれ産まれてくる御子と、幸せに生きていける。
――ええ。ですから、お姉様もどうか、愛しい方とお幸せに。何処であろうと、愛しい方といられれば、そこは幸いとなるでしょう。
幸せな比売神。
言祝ぐように、美しい花が咲き乱れ、降り注ぐ。
寄り添い合う二柱の比売神は、今が盛りとばかりに艶やかに美しかった。
ああ。
妬ましい。
豊葦原で、愛する夫とともに生きられる比売神が。
この身は未だ黄泉に在るというのに――