高天原異聞 ~女神の言伝~
ライトアップされた中で行われるパレードがこのパークの売りでもある。
めぼしいアトラクションをあらかた制覇した美咲と慎也は、パレードを見てから帰るつもりだった。
パレードの前に夕食をとろうと言う慎也に、美咲は頷くが、一つ提案した。
聞いた慎也は、驚いてはいたが、嫌そうな顔はしなかった。
「仕方ない、少しは譲歩してやるか」
そう言って携帯を取り出すと、登録してある建速を呼び出す。
「美咲さんが、みんなでご飯食べたいって。どうせ、久久能智《くくのち》と石楠《いわくす》も近くにいるんだろ。声かけといて」
さすがに人混みにいる時に、目の前に顕れたりはせず、建速と葺根は近くの店の影から出てきた。
遅れて、喜び勇んで久久能智と石楠も顕れる。
「母上様、一緒に食事をしていただけるのですか」
「嬉しいです」
美里と莉子の顔で無邪気に咲われると、美咲もつい笑い返してしまう。
「何が食べたい? 好きなものを選べ」
慎也がすかさず問う。
「建速のおごり?」
「当然だろう」
「じゃあ、ここ」
慎也が地図を指さす。
そこはディナーをコースで食べさせてくれるフレンチイタリアンの店だった。
つい最近オープンしたばかりで、予約がないと入れないはずだった。
「葺根」
「お任せを」
建速の一言で葺根がすぐに動く。出てきた店の影に戻っていく。
「俺達は歩いていこう。そのころには準備もできているだろう」
建速が歩き出すのに、美咲達もついていく。
「た、建速、予約がないと入れないんじゃ」
「俺達には関係ない」
「――」
「美咲さん、ここは甘えとこうよ。その方が建速も嬉しいって」
「そうだ。朝も言ったろう。美咲が喜ぶなら、それでいい。それとも、嫌なのか?」
「い、嫌じゃないんだけど、何て言うか……」
「なら、喜ぶだけでいい。得をしたと思え。普段、こんなことはできないんだからな」
咲う建速に美咲は諦めたような笑いを浮かべた。
店に着くと、葺根がすでに待っていた。
仕立ての良いスーツを着た店員に個室に案内される。
洋風の室内は、アールデコ調の美しい幾何学模様のガラスのランプが灯されており、明るすぎず、落ち着いた雰囲気を醸し出していた。
個室のチャージ代もかかるのではと危惧したが、そこら辺は上手くやってしまうのだろう。
なにせ神様なのだから。
色とりどりの前菜が綺麗に盛りつけられて運ばれてくる。
久久能智と石楠が主に会話を進め、美咲と慎也が答える。
建速と葺根はそれを聞きながら時折二人で話している。
本格的なコース料理だが、それほど緊張もせずに楽しく食べられて、美咲はほっとした。
それにしても。
日本の神様が美しい作法で洋食を食べている。
これはシュールなのか、ファンタジーなのか。
美咲の内心を余所に、違和感もなく楽しく会話しながら食事は進んでいく。
美咲にも完璧なテーブルマナーはわからないが、一つ一つの所作が美しければ、何をやっても様になるということはわかった。
これは真似すべきところだと、食事をしながら美咲は神々の手の動きをよく見て真似ていった。
食後のデザートには、フルーツとシャーベットにタルトがこれまた綺麗に盛られて出てきたのに、石楠が思いの外喜んだ。
シャーベットをすくって食べる時は、満面の笑みを浮かべていた。
「石楠は、シャーベットが好きなのね」
美咲の言葉に石楠が咲う。
「私ではなく、憑坐が好きなのです。我々は食べずとも人間のように死にはしませんから。憑坐に入ると、その嗜好はやはり左右されますが」
「母上様は豊葦原に降られた際には、よく人間達の好むものを食べておられました」
久久能智が言う。
「そうなの?」
「酒造りにも興味を持っておられました。現世でもそうなのですか?」
酒と言うことは、日本酒なのか――いや、製造方法が違うからポピュラーな清酒ではなく濁酒に近いか。
考えるが、記憶のない美咲にはさっぱりわからない。ビールは飲めるが、そんなに美味しいとは思わない。日本酒は、あまり飲まない。どちらかというと甘めなカクテルや酎ハイなら大学のコンパで飲んだのだが。
「ご、ごめんなさい。何も憶えてなくて」
謝る美咲に、久久能智と石楠がきょとんとする。
「母上様、何故謝られるのですか?」
「私達は、この豊葦原で、母上様と父上様がご一緒におられるのを見ているだけで幸せなのです。この時をずっと待っていました。思い出せずとも、貴女様は我らの大切な命《みこと》です。私達にはそれがわかります。だから、ただ此処に、豊葦原にいて、お幸せであれば、よいのです」
「母上様は、今お幸せですか?」
その問いに、なぜか胸が痛む。
無条件に肯定したい。
幸せだ。
こんなにも思われて。
なのに即答できないことを、心の何処かが感じている。
このままではいられない。
どれほど願っても、時は過ぎゆくのだ。
それでも。
「……幸せよ、すごく」
それ以外の答えを探せない。
「ならば、我らも幸せです。貴女様から分かたれた命《みこと》は皆、そう思うのです」
咲う神々。
そこには、偽りがない。
そして、それこそが神々の神々たる所以なのだろう。
だとしたら、人間の記憶を持ち続ける自分は、神にはなれない。
同様に、死なぬ神々は、記憶をなくさぬ限り人間にはなれない。
――それが、定められた理《ことわり》なのだ
心に沸き上がる思い。
その理の前には、たとえ神々といえども、抗えない。
ならば伊邪那美は、この豊葦原で何を望むのか。
神の記憶を持たぬまま、幸せになることか。
「――」
「美咲さん?」
テーブルの下で手を優しく握られて、美咲は我に返る。
その温かさに、先ほどまでの不安が消えていく。
確かな現実に、安堵する。
パレードは美しかった。
花火が上がり、電飾に彩られた馬車を囲んでの様々なパフォーマンスを見ながら、美咲は慎也に寄り添いそれを見ていた。
特別な時間の、創り上げられた幻想の光景。
それでも、本当の神々と過ごす美咲には、何処か現実的な光景だった。
本当の幻想は、自分達のすぐ傍に在る。
静かに、この上なく密やかに。
美しい世界。
そこに現象する神々。
そして、一番に、いつでも逢いたくて傍にいたい人。
愛おしい想いが溢れて、胸が痛い。
この時間が、永遠に続けばいいのに。
理由などどうでもいい。
記憶など、なくていい。
此処にいたいと願ったのは、自分なのだ。
ここが、紛れもない自分の場所。
それを許してくれる愛しい存在。
欠片のようなばらばらの記憶しか持たなくても、彼らを愛おしいと想う心は紛れもない。
それでいいのだ。
パレードが通り過ぎ、花火が終わっても、美咲は密やかに降りしきる金色の雨を見ていた。