高天原異聞 ~女神の言伝~

 美咲は建速とともに家に帰り、食事を済ませた。
 シャワーを浴びて部屋に戻ると、建速はまだ図書館で借りた本を読んでいた。

「美咲、携帯が鳴っていた」

「え?」

 慌てて携帯を見ると慎也からメールが来ていた。不在着信もだ。

「建速、どうして教えてくれないの!?」

「今教えただろう」

「そうじゃなくてっ――」

 慌ててかけ直す。

「慎也くん、ごめん――」

『美咲さん、逢いたいよ』

 メールと同じ言葉が、慎也の声音で響く。

「――」

 それだけで、もう駄目だった。

「私も、逢いたい……」

 涙が、零れた。
 慎也がいない。
 それだけで、こんなに寂しい。
 たった一日離れただけで、もう、こんなにも逢いたい。
 声だけでなく、傍にいて、その存在を確かめたい。
 建速でも、国津神でも、駄目なのだ。
 慎也でないと。

「だから、無理をするなと言ったろう」

 ぱたんと、本を閉じる音がした。
 美咲が視線を向けると同時に、視界が建速の大きな身体に遮られた。

「建速?」

 美咲を抱きしめると、建速は溜息をついた。
 いきなりのことで、美咲は驚く。

「建速、放して」

「美咲さん!?」

 電話越しの声と同時に響く慎也の声。
 建速の腕が放れて振り返ると、携帯を耳に当てたままの慎也が驚いた顔で美咲を見つめている。
 白い壁に、ベッド。
 そこにすわってこちらを見つめたままの慎也。
 静かな空調の音。
 そこはすでに美咲の部屋ではなく、ホテルの一室だった。

「ど、どうして」

「連れてきた。泣くぐらいなら一緒にいろ。朝には迎えに来る」

 美咲を慎也の方へ優しく押し出すと、建速はその場から姿を消してしまった。
 残されたまま見つめ合う美咲と慎也だったが、動いたのは慎也だった。
 携帯を切ってその場に放り出すと、ベッドから立ち上がって美咲を抱きしめる。
 いつもの慎也の感触に、美咲の手から、携帯が落ちる。
 ごとりと絨毯敷きの床に落ちた音がしたが、もうそんなことは互いにどうでもよかった。

「すごく逢いたかった」

「私も……」

 慎也の温もりに、さざ波のように揺らいだ心が凪いでいく。
 一日離れただけで、こんな風になってしまう自分がわからない。
 それでも、慎也が傍にいる――ただそれだけで、不安も悲しみも消えていく。

「もう絶対、美咲さんから離れたりしないから。離れてる間中、全然生きてる感じがしなかった。こんなの、もう嫌だ」

 言い捨てるように呟くと、慎也は美咲をベッドに押し倒し、唇を重ねた。
 常にない乱暴な扱いだったが、美咲は抗わなかった。
 離れていた分を埋め合わせるように、二人は何度もキスをした。










 夜の闇に紛れ、すでに、豊葦原には闇の主と闇の遣いが降臨していた。
 深い眠りにより完全に癒えた闇の主は、この豊葦原に降り立ったことに内心驚きながらも平静を装う。
 闇にあっても輝く地上の光は、夜空の星を全て集めて地上に降ろしても足りぬほどだ。
 黄泉国の静穏とはほど遠く、様々な音で溢れ、賑わう世界に、眉を顰める。

「豊葦原は、確かに神代とは全く異なってしまったようだ」

――青人草は、神威を失った代わりに、別の神威を得たようでございます

 闇の遣いが答える。

「九十九神は」

――すでに豊葦原に。主様の命を待っております

「では、国津神に気取られぬように動け。決して急いてはならぬ。命があるまで、ただひたすら待てと」

――御意に

 闇にあってなお美しい闇の主が微笑む。
 その後ろには、仄暗い神気を持つ、死神《ししん》を従えていた。

「まずは、国津神を抑えねばならぬ」

闇の主の言霊に、死神は静かに頷いた。

「哀れな比売神。またもや黄泉路を降ることになろう」









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