高天原異聞 ~女神の言伝~
美咲は、迎えに来た建速とアパートに戻った。
朝食の準備をしようと思ったら、テーブルにはすでに食事の準備ができていたことに驚く。
「これ、どうしたの?」
「作った」
「誰が?」
「俺がだ」
短い即答に、美咲の驚きはさらに倍増する。
「た、建速が? これを?」
テーブルの上には、ワンプレートに簡単なサラダ、目玉焼き、カリカリのベーコンが見目よく置かれていた。二人分のテーブルセッティングも完璧だ。あとはご飯と昨日の残りの味噌汁を盛ればいいだけにしてある。
「永く生きているんだ。料理くらいできるぞ。まあ、食べる必要性はないが、舌を楽しませるのも悪くない」
「――」
荒ぶる神がキッチンで料理。
イメージできないが、確かに、料理は現実にここにあるのだ。
慎也がアパートに頻繁に来るようになってから、食材は切らさないよう補充してある。それを上手に使ってあるのにも驚く。
特別なものはないのに、盛りつけが上手いので朝から贅沢に見えるのが不思議だ。
もしかしたら、自分より上手いのではないか――そんな思いにとらわれる。
「ありがとう。ご飯とお味噌汁盛るわね」
炊きたてのご飯と温め直した味噌汁を盛ると、向かい合って食事を始める。
建速が傍にいることにも慣れ、食事も終えると、空いた食器を重ねてシンクへと運ぶ。
そのまま洗おうとすると、建速に遮られる。
「俺が洗っておく。その間に美咲は準備をしろ」
「え、そこまでしてくれなくてもいいのよ?」
慌てる美咲を、建速が制する。
「俺が美咲のためにしたいんだ。何故止める?」
「ええっと、してもらうのが、申し訳なくて――」
「思うな、そんなこと。言っただろう。俺達国津神は、美咲のためにすることはどんなことであれ喜びなのだと。神代でそうであったように傅かれていろ」
「――記憶がないから無理よ」
「全員で押しかけてくるよりはましだろう。それに、俺は神代では伊邪那美に何もしてやれていない。少しは親孝行というものをさせてくれ」
「親孝行って――」
唖然とする美咲に、建速が咲う。
「さあ、準備をしろ」
そうして、美咲をキッチンからバスルームへ追いやる。
「――」
諦めて、美咲はバスルームに入り、手早く顔を洗い、歯を磨き、髪を整える。
それから、静かにバスルームを出て部屋へ戻り、引き戸を閉める。
大きな身体が背を向けて食器を洗っているところが、とてつもない違和感を醸し出していたが、どうすることも出来ないので見ないふりをする。
クローゼットを開いて出勤用の服に着替えると、今度はドレッサーへ移動する。
ドレッサーの鏡に向かい、簡単に化粧を終えれば、もう準備は整った。
同じ頃、建速も片付けを終えて部屋へ戻ってくる。
「もういいのか?」
「ええ。出れるわ」
玄関で靴を履こうとした美咲を、
「待て」
建速が止める。
「どうしたの、建速?」
いきなり引き寄せられて、抱きしめられると、驚く間もなく空間が揺らいだ。
「――」
瞬きをする間もなく、そこはすでに美咲の部屋ではなく、図書準備室だった。
「建速、何で――」
「――いや、何かが気にかかる」
「何かって、何が?」
「――わからん。だが、慎也が戻るまでは、家と図書館の敷地外からは出るな」
暫し虚空を見据えて動かない建速に、美咲は不安になる。
また何かが起ころうとしているのか。
不安が伝わったのか、建速が優しく美咲を抱きしめ直す。
「大丈夫だ。何があっても護る。あんたと慎也を引き離したりしない。宇受売にも気をつけるよう伝えておいた」
「本当に?」
「ああ、言霊に誓う」
神は嘘をつかない。
その言葉を聞いて、美咲はやっと安心した。