高天原異聞 ~女神の言伝~

――比売。祖父の処に、しばらく留まらねばならなくなった。

――……それは……いつお発ちになるの?

――すぐにでも。だから、逢いに来たのだ。

 祖父の跡を継ぐために、傍らで学ばねばならなくなってしまった。
 そうなると、しばらく逢えなくなってしまう。

――比売?

 見下ろすと、美しいぬばたまの瞳から涙が零れた。

――今だとてそうそう逢えぬのに、今度は、いつ逢えるのですか……

 愛おしさに、思わず強く抱きしめてしまう。

――そのように泣かれると攫って往きたくなる。

――私が此処を離れられないのを、おわかりのくせに……

――ああ。だから、来たのだ。何の約束もせずに離れられぬ。

 抱きしめていた柔らかな身体をそっと離す。

――約束……?

 頬の涙をそっと拭う。

――今はまだ何も持たぬ身であれど、我が妻に。そなたしか考えられぬ。

――……

 ぬばたまの瞳から、また涙が零れる。
 だが、泣きながらも、嬉しそうに咲っていた。

――何も持たずとも良いのです。そのお心さえあれば。

 その言霊に、心が、震えた。
 指を絡めて、互いを引き寄せる。
 そのまま、身体が触れ合い、唇が、触れ合った。
 触れ合う心地よさに、足の力が抜けていく。
 膝が地に着いた。
 くちづけは深くなるばかり。
 追いつめるように身体を預けられ、比売神の背中が優しく草に触れた。

――比売。そなたを今すぐ私のものにしたい。

――ええ。そうなさって。身も心も貴方の妻として下さい。

 目も眩むような喜びにうち震えながらも、優しく丁寧に女神の着物を脱がす。
 抗わぬ美しい肌に己の痕を付けてゆく。

 離れていても、消えなければいいのに。

 そう思いながら、女神の身体に己の想いを刻み込んだ。





 誰が知らなくとも、もう自分達は夫婦となった。
 だが、互いの立場を考えて、今はまだそのことを誰にも告げられなかった。
 知っているのは、半神である自分の妹だけ。
 背の君の祖父は、須賀一帯を治める方。
 そして自分の父はこの地を治める山津見の一族の長。
 豊葦原は未だ大王がおらぬ故に、不安定だった。
 子が産まれても、父親の名を周囲に知らしめることもできず、月日は流れた。
 それでも、背の君は変わらずに自分を慈しんで下さる。
 自分も、背の君が愛しくて仕方がない。
 いつか代替わりして、自分達が跡目を継いだら、そうしたら、きっと争いなく豊葦原を治められるはず。
 自分達の時間は、無限にある。
 焦ることはない。
 互いにそう思っていた。
 それは、幸福な夢だった。






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