高天原異聞 ~女神の言伝~
「!!」
比売神の意識が途絶えると同時に、美咲は目覚めた。
「美咲さん!!」
慎也が自分を覗き込んでいるのがわかる。
その後ろには、天井の灯りが。
両手を支えに、何とか身を起こす。
「美咲、大丈夫か?」
「母上様!!」
いつの間にか、慎也と建速以外の国津神々達が傍にいた。
八塚さえも、その後ろで控えていた。
「――」
声を出そうとした。
だが、夢は終わっていなかった。
別の夢が流れ込んでくる。
母上、何故、私を厭うのですか。
私の何が、気に入らぬのですか。
どうか私を視てください。
真心のこもった優しい言霊を、かけてください。
他の弟、妹達のように、温かい眼差しを向けてください。
母上が望むなら、どんなことでもいたしましょう。
今までずっとそうであったように、これからも。
それなのに。
何が足りぬのですか。
何故、私は、愛してもらえぬのですか――
また辺りは暗闇に閉ざされた。
その中に、一人佇む黒い影が見えた。
その姿に、涙が零れそうになる。
なんて愛おしく、憐れな姿――
これは、誰の心?
美咲は、その影を、闇に包まれたその死神を、見たことがあった。
そう――夢の中で。
愛しい妻を待ち続けた夫。
美しい比売神の片割れ、姉比売の背の君。
根の堅州国を捨てた須勢理比売の代わりに、留まった男神。
優しげな、美しい男神の姿形は何ら変わらない。
だが、今、その瞳は暗闇の中で美しい宝石のように見えた。
紅《あか》い、血のような美しい瞳。
あれは――遠呂知《おろち》の瞳――
「!!」
突然の胸の痛みに上半身の重心を失った美咲は、慎也にしがみついた。
「美咲さん!!」
「美咲!!」
「母上様!!」
慎也の腕の中で、訳のわからない痛みに喘ぎながらも、美咲は必死で言葉を繋ぐ。
「あれは、瞳だわ――」
「瞳?」
「遠呂知《おろち》の瞳よ、あれは。あの、紅い瞳。あれは、八俣遠呂知《やまたのおろち》――」
白昼夢を視ているようだ。
起きているのに、視界に重なる闇の中の死神の姿が視える。
その瞳は、血の涙を流しているかのように、ただただ哀しく、切なかった。
貴方は、誰なのですか。
遠呂知《おろち》の瞳をしているのは、何故なのですか。
心の中で、美咲は必死で問いかけた。
紅い瞳の死神が咲う。
だが、それは泣いているようにも視えた。
死神が呟く。
私が何者か。
何故、愛されぬのか。
その問いの答えは、死して後、知り得た。
この抗えぬ性が、満たされぬ渇望が、誰から受け継がれたのかも。
名の意味を、考えれば全て腑に落ちる。
初めから、愛される資格などなかったのだ。
望まれていなかったのだから。
それでも、彼女がいた。
美しく咲き誇る花のような女神が、自分を愛してくれた。
愛した者が、自分を愛してくれる。
それは、何という幸福なのだろう。
自分の想いを受け止めてくれる唯独りの女神。
ありのままの自分を、受け止めてくれた愛しい妻。
彼女がいてくれれば、穢れたこの身も清らかなものとなるはずだ。
彼女が自分を、鎮めてくれる。
彼女だけが、この狂気から救ってくれる。
だから。
欲しいものは、ただ一つ。
もうそれだけでいい。
取り戻すためなら、世界の全てを壊してもいい。
そして。
取り戻したら、二度と放しはしない。