高天原異聞 ~女神の言伝~

 図書館の外に出た荒ぶる神と国津神々達は、幽世の神威が、現世の領界を越えたことを悟った。
 高校の敷地内は、全て建速と国津神々達の結界で覆われていた。
 ドームのように半球の空間は、以前と何ら変わることのない景色だった。
 だが、本来なら星空が見えるはずの頭上は、真っ暗な闇に包まれていた。
 見えるべき星は、一つもない。

「神器が、神器を喚んでいます」

 宇受売が呟く。
 最後の神器を持つ天之宇受売には、闇の中でも一際輝くように在る神器の存在を感じ取っていた。

「最後の神器がこちらにあるのなら、死神は必ずこちらにやって来るはず。宇受売様、比礼をお護り下さい。死神を倒せば、神宝《かんだから》を取り戻すことはできましょう」

 建速と宇受売が振り返る。
 背後には、静かな怒りを湛えた八塚が立っていた。

「八塚」

「神器を取り戻すのです。一族の長たる私がやらねば」

「そなたは人だ。死神に真向かってはならん」

「無駄死にはしません。誓ったではありませんか。この命尽きるまで、お傍でお役に立つと」

「生きていなければ傍に在ることも、役に立つこともできん。そなたには、まだすべき事がある」

 八塚は空を仰いだ。

「感じます。神器が、近づいてきています。死神とともに」

「建速!!」

 慎也の声に、その場の神々全てが視線を向ける。
 慎也は、胸を押さえて辛うじて立っている美咲を抱きしめるように支えていた。

「母上様!!」

「美咲、大丈夫か!?」

 慎也に支えられながら、美咲は駆け寄ってきた建速の腕を掴む。

「建速……教えて。遠呂知《おろち》は、神去ったの? だから、黄泉返ったの……?」

「違う。黄泉返るなど、ありえん。遠呂知《おろち》は、滅したのだ。神殺しの剣によって、その神霊を滅ぼした。黄泉国へは逝けぬ。命《みこと》がないのだから」

「……じゃあ、やっぱり……」

 美咲の瞳から涙が零れた。

「美咲、何を視た?」

「……建速……、あなた、知ってるの? 櫛名田比売の……最初の子供は――」

「建速様!!」

 美咲の最後の言葉を遮ったのは、国津神達の敷いた結界の中に入ってきた瓊瓊杵と咲耶比売だった。

「瓊瓊杵、咲耶比売――」

 建速の言霊をかき消すように、突如結界が耳障りな音を立てた。

「!?」

 それは、ガラスを擦るような不快な音だった。
 慎也と美咲には、黒板を爪でひっかいたような音に聞こえた。

「結界が――」

「建速様、我々の神威に勝る神威が、結界をこじ開けようとしています!!」

「瓊瓊杵、咲耶比売、下がれ!! 死神が来る!!」

 軋んだような、擦れるような、音だけが大きくなる。

「信じられぬ……我々国津神の結界を破るなど……」

 石楠と久久能智が驚きとともに呟く。

「入れてやれ」

 建速の言霊に、国津神達が目を瞠る。

「よ、よろしいのですか?」

「このままでは結界が壊れる。死神だけならどうとでもなる。宇受売、葺根、八塚、下がれ。神宝《かんだから》を護るのだ。死神と真向かうのは、我々国津神の役目だ」

「仰せの通りに――」

 宇受売が下がる。
 八塚も、不本意ながらも宇受売に従う。
 それを見届けて、葺根も下がった。

「入れるのは、死神のみ。それ以外は入れてはならぬ」

 逡巡したものの、国津神達は荒ぶる神の言霊に従う。
 皆が手を虚空に伸ばす。

 神気が揺らぎ、神威が満ちる。

 たくさんの神々の手から、神威が放たれた。
 その途端、耳障りな音が、ぴたりと止んだ。
 死の気配が、身近に感じられた。

――天津神よ……最後の神宝《かんだから》を、渡してもらおう

 結界の内に入り込んだ死神が、そう言った。





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