高天原異聞 ~女神の言伝~
国津神達の嘆きが、一層極まった。
その場に跪いたまま、宇受売は空《くう》を見据えていた。
また、お護りできなかった。
最後までお護りすると誓ったのに。
涙が止めどなく零れる。
宇受売が、豊葦原に留まり続けた最後の理由が、消えてしまった。
遙か彼方に過ぎ去りし、神代での誓いが。
神田比古の黄泉返りを待つこと。
天孫の日嗣を護ること。
天孫の日嗣亡き後は、夫である神田比古を待ちながら、封じられるまで日嗣の末を見守り続けていた。
だが、黄泉国で再会した神田比古を、もう待つことは出来ない。
神田比古は、黄泉返っては来ないのだから。
だから、今度は、黄泉返った天孫の日嗣を護れれば、それでよかった。
天に還りたいと思う心もあったが、宇受売は、豊葦原も愛していた。
豊葦原を愛する天孫の日嗣と嫡妻を護ることができれば、果たせなかった誓いも、想いも、報われると思った。
結局、どちらも護ることは出来なかったが。
それでも、幸せだったのだろう。
御子も、嫡妻も。
今度は、共に逝かれた。
呪詛を通して、一つとなったのだ。
きっと、黄泉返っても、共に在れるだろう。
それだけが、救いだった。
「宇受売」
宇受売の前に、建速が進み出た。
「建速様……」
「日嗣の最後の言霊を、天照に伝えよ。今まで、ご苦労だった」
その言霊に、宇受売は驚く。
「建速様、ですが――」
「もういい、宇受売。誓約は全て果たされた。もう、還れ」
もういい。
荒ぶる神の言霊が、宇受売の最後の呪縛を断ち切った。
もう、待たなくていいのだ。
天へ――高天原へ、還れる。
「――」
泣きながら、宇受売は頭を垂れた。
「天の浮橋だ。わかるな」
「はい――建速様。ありがとうございました」
創世の神が隔てられていた領界を繋いだことにより、すでに天津神である宇受売には、天へ還る路が視えていた。
憑坐から、宇受売の神霊が抜け出る。
ふわりと、宙に浮いた。
――建速様……お別れでございます。
不意に、宇受売は建速に向かって手を差し伸べた。
建速が、その手を取る。
沈黙が、二柱の神の間を流れた。
だが、それもほんの僅かな間のこと。
建速と宇受売の手が離れる。
そのまま宇受売は空を蹴った。
結界を越え、闇を越える。
さながらそれは、空を流れる星にも似ていた。
美しい比礼が、その身を煌めいて飾る。
巫女神の神霊は、一心に領界の狭間にある天の浮橋を目指す。
高く、遠く、離れていく。
流れる星のように、宇受売の神霊は闇を越えて天を駆け、高天原へと還っていった。