高天原異聞 ~女神の言伝~
高天原の太陽の宮にある大広間には、八百万やおよろずの神々が集っていた。
上座に座する天照あまてらすは、天津神の陳情を聴くのに、もう永い時間を費やしていた。
「そなたらの言い分はわかったが、建速たけはやを罰することは出来ぬ」
「天照様!!」
「少しぐらいあれが暴れた処で、甚大な被害が出たわけでもあるまいに。何をそう騒ぐのだ」
「荒ぶる神は、其処に在るだけでも畏れ多いのです。嵐を引き連れて訪なわれれば、田畑の収穫にも関わります!!」
「わざとしているわけではない。高天原の様子に興味があるだけだ。豊葦原とはまた違うのだから」
荒ぶる神を恐れる天津神は、皆一様に建速を高天原から追い出すよう申し立てに来たのだ。
大げさな物言いに、天照は逆に呆れてしまっていた。
確かに、無造作に伸ばした髪を結いもせず、あの大きな体躯で勝手気ままに歩き回られては、天津神が恐ろしく思うのも無理はない。
溢れ出る神気は隠しようもなく、猛々しい気が咲いている花をも萎れさせる勢いだ。
穏やかな高天原や天津神には、どうあっても馴染めぬものであろう。
「建速は、いずれ高天原を去る。そなたらが恐れることは何もない」
そう、それはすでに定められたことなのだ。
建速は高天原には留まらない。
引き止めることなど出来ないし、する気も最早ない。
「――ですが」
なおも言い募ろうとする天津神に些かうんざりして、天照は手を上げて遮った。
「程なく去る弟に、今すぐ出て往けとは言えぬ。この話はこれで終わりだ」
「皆様方、太陽の女神の言霊を信じて待ちましょう。三柱の貴神うずみこが、我らを害することなどあり得ませぬ」
続きを思兼が引き受け、ざわめく天津神を上手く宥め、渋々と大広間から神々が出て往く。
「姉上。お疲れのようですね」
傍らで静かに聴いていた月読命つくよみのみことに、天照は目を向ける。
ここ最近の陳情は、荒ぶる神についてだが、この月神も、天照には悩みの種でしかない。
「月読、建速のことばかりではない。そなたもこうも長く高天原に留まってはならぬ。夜の食国を与えられたのだ。そなたの治めるべき国へ往かねば」
「姉上、私は此処に、高天原に在りたいのです。姉上から離れるなど出来ませぬ」
「幼子のような言霊を。我らは三柱の貴神うずみこ。与えられた領界を治めねばならぬ」
そう。
高天原の主は自分なのだ。
天津神々も納得した。
その証拠に、三柱の貴神うずみこであるのに、荒ぶる神を引き止めるものなど誰もいない。
「姉上――」
「建速のように私を煩わせてはならぬ。月読、建速が去る時は、そなたも夜の食国へ往くのだぞ」
渋々と、月神も大広間を出て往く。
静かになった空間に、天照はようやく息をつく。
ようやくこれで憂いは何もないと安堵したその時、建速が大広間に入ってくる。
「建速、何をしに来た?」
「お前に逢いに」
気ままに振る舞う荒ぶる神に、太陽の女神は呆れたように息をつく。
「高天原に在る僅かな間だけでもおとなしくしていることは出来ぬのか」
「俺がおとなしくしていれば、かえっておかしいだろう」
確かにそうだ。
こうして、騒ぎを起こすからこそ、天津神は不安になり、ますます天照を頼る。
もしや、それが狙いなのか。
「私のためか?」
「おとなしくしているなど、性に合わぬだけだ」
そのまま、天照の腰に手を回し、己へと引き寄せる。
そのまま床に横たえられて、くちづけられればもう抗えない。
帯が解かれ、上衣の合わせが開かれる。
乳房が揉みしだかれ、先端を舌と指で愛撫されると堪えきれない甘い吐息が漏れる。
誓約は、もう終わったのに。
自分達が交合うことに何の意味があるのだ。
そう思いながらも虚ろな身体と心を同時に満たせるのは、この瞬間だけなのだ。
愚かな自分に、今だけだと言い聞かせるしかなかった。