高天原異聞 ~女神の言伝~
大広間を出て、月の宮へと向かう月神に、言霊がかかる。
「月読様」
振り返ると、其処には思兼の姿が在る。
「思兼か――」
「太陽の女神に、進言なさったのでしょう? 女神は何と?」
「いずれ去る者を構うなと仰せだ。姉上は優しすぎる。建速にも困ったものだ。後で私からも弟に言っておこう」
「さすがは月の御方様。我々天津神では、畏れ多く、荒ぶる神に言霊をかけることも出来ませぬのに」
「我らは三貴神で在るのだから、互いに律し合わねばならぬ」
「真に貴神うずみこに相応しい言霊。太陽の女神もお喜びになるでしょう」
思兼の言霊に、月神が嬉しそうに咲う。
「では、私は月の宮へ戻る」
「お待ち下さい、月読様」
歩きかける月神を、思兼が再び留める。
「次の望月に豊葦原の大宜津比売の処へお往き下さい。天照様の名代として」
「姉上の代わりに?」
「太陽の女神の対たる月の御方様でなければ、この役目は務まりますまい」
「そうだな。お忙しい姉上を煩わせることはない。私が代わりに赴こう」
疑いもなく承諾し去っていく月神に、思兼は内心ほくそ笑む。
月神を追い落とす準備は整った。
残るは荒ぶる神だけ。
「――」
気配を隠し大広間へ戻れば、扉の向こうから、隠しきれぬ艶めいた喘ぎ声と衣擦れの音がする。
嫌悪も顕わに、扉を見つめる思兼。
中では、太陽の女神と荒ぶる神が交合っている。
高天原の主を穢す荒ぶる神を、心底嫌悪する。
荒ぶる神など、太陽の女神には相応しくない。
唯一の存在である太陽の女神を、誰からも、何からも、護らねばならぬ。
荒ぶる神は、二度と高天原に戻れぬよう完全に追い落としてやる――心に固く誓い、思兼は静かにその場を去った。