高天原異聞 ~女神の言伝~
「……」
目を覚ました月神は、違和感に気づいた。
部屋が明るい。
朝が来ている――其処で、身を起こしてさらに具合の悪かった身体が驚くほど軽く感じられることにも驚いた。
身体には何も身に付けておらず、振り返れば、神直毘と大直毘の兄弟神が倒れ込むように眠っている。
「……あぁ、そんな……」
兄弟神を視たことで、昨夜の出来事がまざまざと甦ってきた。
月神の身体から、血の気が引く。
陽の神気を受けるためとはいえ、兄弟神と交合ってしまったのだ。
男神としての身体が、大宜津比売に穢されただけでなく、兄弟神にも穢されてしまった。
しかも、最後には自分から進んで受け入れた。
体中を弄られ、舐められ、女のように後腔を貫かれながら何度も何度も腰を振って喜んだ。
自分は穢れてしまった。
絶望に、月神は泣いた。
どうすればいい。
こんな事が、自分に起こるなんて。
「違う……違う……こんな事は、嘘だ。起こる筈がない」
陽の神気を補い、今、月神は完全な状態だった。
月神の神気が揺らぎ、神威が満ちる。
月神の神威が、神直毘と大直毘に向けられ、放たれた。
交合いの名残が、瞬く間に消える。
昨夜の記憶を、神直毘と大直毘から奪わなくてはならない。
意識のないまま記憶を奪われる神直毘と大直毘は苦痛に喘いだ。
それでも、三貴神である月神の神威には抗えない。
「忘れるのです、全て。兄上達は、私には会わなかった。誰にも会わず、自室に帰ってお眠り下さい」
月神の言霊に、神直毘と大直毘は従った。
意識のないまま、何事もなかったように二柱の兄弟神は部屋を出て往った。
「……」
月神は、自身の身体にも神威を向ける。
交合いの痕跡が見る間に消えていく。
身支度を整え、部屋からも全て交合いの跡を消し去り、部屋を出る。
「姉上……姉上……」
今、月神が会いたいのは、自分の対で在る筈の太陽の女神だった。
思兼の策が功を奏し、太陽の女神は天の岩屋戸から戻っていた。
月神はようやく視《まみ》えた太陽の女神に安堵したが、返ってきたのは冷たい一瞥であった。
「そなたは、高天原に在ってはならぬ。夜の食国に戻れ」
月神の容から、血の気が引いた。
「姉上……」
「豊葦原で、大宜津比売と一夜を過ごしたとか。ならば、大宜津比売を娶るしかあるまい」
何故太陽の女神が豊葦原でのことを知っているのか――今の月神は動揺しすぎていて考えが及ばない。
「あれは、謀られたのです。私の意志ではありませぬ」
「そんなことはどうでも良い」
蔑むような太陽の女神の視線に、月神の震えが止まらない。
すでにこの身は穢れてしまった。
こんなにも穢れてしまった身体で、この美しい太陽の女神に触れることは叶わない。
「姉上……姉上」
「良いか、月読。そなたの変若水は、誰にも奪われてはならぬ。そなたの神威は、天津神にも国津神にも奪われてはならぬのだ。私を煩わせずに、夜の食国でおとなしくしておれ」
「姉上、私は――」
「大宜津比売を妻とし、夜の食国へ往くのだ。それで、そなたの名誉も変若水も護れる。これ以上私を失望させるな。失望させられるのは、建速だけで十分じゃ」
それ以上の言霊を語らず、太陽の女神は月神に背を向けた。
月神の中で、何かが壊れた。
太陽の女神の部屋を出た後、どのように歩いてきて月の宮へ辿り着いたのか記憶はなかった。
蒼白な容に、部屋の前で待っていた荒ぶる神が駆け寄る。
「月読、何があった?」
荒ぶる神の言霊も耳に入らない。
月神の心はただ一つに囚われていた。
穢れを祓わねばならない。
自分を支える荒ぶる神の腕にしがみつきながら、月神が問う。
「建速。大宜津を殺せるか」
「月読――?」
「あやつを殺さねば、私が死んでしまう」