高天原異聞 ~女神の言伝~
「あの、手を――」
「今日は、日が落ちたらすぐに帰ったほうがいい」
徐に、男が告げた。
「え――?」
「俺の言葉を忘れるな。暗闇には近づくな。捕まったら、戻れなくなる」
それだけを言うと、男は美咲の手を放し、本も借りずに去っていった。
知らない男なのに、なぜか懐かしさを感じた。
「誰なの……?」
もう一度名前を確かめようと、美咲は登録カードを置いた場所を見た。
だが。
記入してもらったはずの登録カードがどこにもない。
コンピュータに打ち込んだはずのデータも無かった。
「どういうことなの?」
風でとんだのかと、カウンターの下や引き出しの中を何度も探す。
けれど、不思議なことに、男が図書カードを作った記録はどこにもない。
あんなに印象に残る男なのに。
美咲が何度図書カードの登録記録を見ても、彼らしき人物の名前は探し出せなかった。
ただ、触れられた手の温かさは、忘れられなかった。