阿佐ヶ谷パレット
初めて言葉を交わした時の事は、良く覚えている。外は雨が降りそうなほこりっぽい匂いを、湿った風が運んで来ていた。
「誰?」
 と、先に私が尋ねた。
「葵って言います。」
 楠木葵っと、付け足した。
「どうしてうちに?」
 私はまだ玄関で靴を履いたままだった。すっかりそんな事は忘れていた。
「ふらふらしてたら、何だかここにたどり着きました。おねぇさんの名前は?」
「綾女」
 柳井綾女っと、私も付け足す。それから思い出したように
履いていたヌーディーカラーのサンダルを脱ぎ、葵に出迎えられる事になった自分の家へと上がる。
「綾女って素敵な名前だね。綾女ちゃんって、呼んでもいい?」
私は頷く。
「葵・・・」
葵と言う名前を一度しっかり呟いてから、飲み込んでみる。
「葵」
「うん」
「ご飯食べた?」
 他に聞くことなんて、いくらでもあった。しかしあの時は、他に何も思いつかなかった。
そうして私たち二人の生活は始まった。何故、私のところを選んだのかは分からなかったけれど、ふらふらしてここにたどり着いたのなら、そういう事なのだと思った。

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