せ ん せ い
彼は何もしない。
わたしを突き放そうとも、抵抗しようとも。
時間の流れが止まったように重ねた唇。ネクタイを掴んだ手とともにそっと離すと、キスする前と一ミリも変わらない、気の抜けた無表情がそこにあった。
……何やってるんだ、わたし。
自分のやったことのスケールの大きさに、急に焦りが込み上げる。
つい一秒前まで妙に冷静だった自分が不思議だ。
「………えっ、と…」
まずい、この後どうしよう。
頭の中が真っ白になり、指先がだんだん冷たくなってゆく。
一方で彼は、やはり表情一つ変えずに曲げていた腰を縦に伸ばし、崩れたネクタイを片手で無造作に直した。
「何してるんです、志衣奈さん」
沈黙を遮る、先生の声。
心なしかその声がいつもより何倍も冷たく感じて。
怖くて怖くて、彼の顔を見ることも出来ない。
何事もなかったかのように、煙草に火を点けるライターの音だけが、保健室に染み入った。
「先生」
「はい」
「……本気だよ、わたし」
「……困りましたね」
"困る"のは、わたしが生徒だからだろうか。
オブラートに包まれたセリフに対してさえ、胸がチクリと痛む。
そして追い討ちをかけるように、先生は溜め息混じりに煙を吐き出して、次はハッキリと言い放った。
「私の人生、狂わせる気ですか」