密会は婚約指輪を外したあとで
「俺さ、昔は俳優志望だったんだ」
私の背中を撫でながら、彼は昔話を始めた。
「え……芸能界に入ろうとしてたの?」
「学生の頃にな。でも、オーディションに落ちまくって現実を知って。それからは一切あきらめて、テレビ局に就職することにした」
全てが思いどおりで、成功しかしていないように見えるのに。拓馬も挫折を知っているんだな、と当たり前のことを思う。
ほとんど欠点のなさそうな彼が、こんな私へ弱みを見せてくれたことが素直に嬉しい。
「私は……華やかなアナウンサーでも、テレビには映らない裏方の人でも、全然格好いいと思うよ。すごい仕事だよ。あんなに責任のあること、私には真似できない」
「……」
「自分のためだけじゃなく、大勢の人に大切な何かを伝える仕事って、重要なことだと思う。私はそういう風に、いつも頑張っている人が好きだよ」
「奈雪……」
どこか照れたような拓馬が、口を開きかけたそのとき。電話の着信音が鳴り響き、話が中断された。
画面表示を確認した拓馬が、スマホを耳に当てる。
「……はい。佐々木です」
微かに漏れる電話の声は、女の人のものだった。
もしかして、渚さん?
涙が浮かび上がってくるのを必死にこらえる。
「──渚じゃない、仕事の電話だよ。ちょっとしたトラブルがあって」
顔に出ていたのか、拓馬が静かに答える。
「仕事……」
「悪いな。また今度ゆっくり話そう」
「……うん」
電話の相手は渚さんではなかったのに、急に帰られてしまうのは心が追いつかない。
「そんな寂しそうな顔するなって」
ほんの少しだけ困った様子で、拓馬が私の顔を覗き込む。
「……俺も、また早く奈雪に会いたい」
憂いを潜めた瞳で、拓馬は私の部屋を後にした。
誰もいなくなった部屋は寂しくてたまらなかったけれど。彼の残したその言葉は、なぜか信じられる気がしていた。