飼い犬に手を噛まれまして


「深陽さんっ?」



 彼女は、長い髪を揺らして私を見つめる。


「はい……どうして私の名前を? どこかでお会いしたことがありましたか?」



 ワンコの口から一度だけ聞いたことがあるその名前。苦しそうに泣きたいくらいに切なそうに「深陽……」と呼んだワンコ。



 彼女が帰ってきた!



「あの! はじめましてです。その部屋、今は空き部屋なんです」


「あ……そうでしたか、ごめんなさい。私知らなくて、失礼しました」


 肩から黒い革のショルダーバッグをかけると伏せ目がちにそこから去ろうとする。
 いかせちゃ、ダメだ!


「待って! 深陽さん! 坂元くんがあなたに会いたがってます! 行かないでっ!」

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