飼い犬に手を噛まれまして
「そういうの迷惑なんですよね。自分じゃ何も変えられないからって勝手に家を飛び出して、家族と絶縁して、おまけに隣の部屋の茅野さんにも迷惑をかけてる。
正直、うんざりなんです」
「それは……全部深陽さんが好きだからやったことでしょ?」
ワンコは嘘つきで身勝手なワンコなのかもしれないけど、ワンコの嘘も身勝手も全部深陽さんのためだ。
「別れるって決めたんです。女の人の部屋に転がり込むなんて……最低」
「違う! それは誤解ですって、私彼氏いますし」
「なおさら、最低ですね。本当に申し訳ない気持ちでいっぱい。あんな奴、別れてよかった」
深陽さんの瞳に涙がたまる。その言葉は、自分自身に言い聞かせているようにも聞こえる。だけど、涙は嘘をつかない。
「まだ好きでしょ? 星梛くんのこと……」
「そんなわけないじゃないですか」
深陽さんは人差し指でさっと涙をふき取ると、しゃきっと背筋を伸ばした。
「突然来たのに、部屋に入れてくれて、コーヒーとプリンご馳走様でした。茅野さん優しいんですね。星梛、迷惑だったら叩き出してやってください。人に甘えることしか出来ないんだから、少しは辛い目にあえばいいんです」
「本当にそう思ってる?」
「思ってます。お邪魔しました」
「深陽さん待って!」
俯いたままショルダーバッグを肩にかけて走って部屋を出ていく彼女。
「深陽さんっ!」
追いかけて部屋を出るけど、彼女は雲隠れしたように姿を消していた。階段を駆け下りて、環状線沿い歩道を見たけど、どこにもいない。裏口もあるし、そっちから出たのかもしれない。
どうしよう。引き止められなかった。