華〜ハナ〜Ⅲ【完結】
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マスターに呼ばれ、その部屋を訪れた時。
部屋には乃亞がいた。
基本的に、この部屋でマスター以外の人と鉢合わせることはない。
「ああ、月華。よく来たね。話があるんだ。」
いつも通り薄く笑っていたけれど、マスターの目が違うことにはすぐに気付いた。
乃亞はその瞳に慣れないからか、微動だにせず立っていた。
「…最近、禍后が帰ってこないの、知ってる?」
そう。仕事の後に行く場所なんてない私たちは、まっすぐにこの基地へ帰ってくるのが常だった。
それなのに、禍后は仕事に行ったきり、帰ってきていない。
「ええ。」
「…あいつね、一般人に熱を上げているみたいなんだ。」
これ、見てくれる?と差し出された写真には、綺麗な女の人と並んで歩く禍后の姿があった。
普通の人間のように笑っていて、それが本当に禍后なのかと疑った。
「…仕事の連絡にも応じないし、今朝、“俺はもう人は殺せない”と言って一方的に連絡を絶ったんだ。…そんなのを、野放しにはできないんだよ。」
それに禍后は月華のこともよく知っているしね、と続いた。
彼は、話しながらも、どこかと連絡を取っているのか、モニターに向けられた視線が外れることはない。
足元には、細かく指示を出すためのモールス信号機。
左目にはめてある片眼鏡には、信号を送っている先の状況が映っているのだろう。
「乃亞は、禍后の特別だったみたいだから、教えてやろうと思って呼んだんだ。…月華には、仕事を頼むよ。」
「はい。」
瞬きもせず、マネキンのように立ち尽くした乃亞は、話が聞こえているのかどうかも分からない。
___同じ境遇、幸せにはなれないもの同士、だけど、愛を求めているもの同士。
不器用に愛し合っていた乃亞と禍后。
なのに、禍后は一般人と普通の幸せを手に入れようとした。
…立派な、裏切りだろう。
ショックを受けているのかは分からないけれど、乃亞が普通じゃないことはわかった。
「話は終わり。それじゃあ、よろしくね。」