真実の永眠
02話 再度
麻衣ちゃんと試合観戦をした日から、一ヶ月半程経過していて、もうすぐ六月になる。
私は先月誕生日を迎え、十七歳になった。
私は未だに、あの日目を奪われてしまった少年を、忘れられずにいた。
名前は、何と言うのだろう? 応援席にいたし、顔も幼そうだったから、もしかしたら一年生かも知れない。出来る事なら、また会いたい、話しがしてみたい。でも、名前も知らない。彼については何も知らないのだ。もしかしたら彼には彼女が、いるかも知れない。
思考を巡らせては、落ち込んでいたのだけれど、突然鳴り響くメールの受信音に、思考は遮られた。携帯電話に視線を向ける。そして、テーブルの上に置いていた携帯電話に、手を伸ばした。
画面を確認すると、それは麻衣ちゃんからだと知らせていた。
<今週の土日に、またバレーの試合があるんだけど、一緒に行かない?>
メールを見た途端、曇っていた表情が一気に明るくなる。重い心までもが軽くなった気さえする。なんて現金な心なんだろうか。
返事に迷う事などない。だって、また会えるんだ……!
彼の事など何も知らないけれど、もしかしたら彼女だって、既にいるかも知れないけれど、それでも。まだ、分からないから。今の所“絶対”って訳じゃない。彼に会えるなら、今は何でも嬉しかった。
<また試合があるんだ。勿論行く>
すぐにそう返信した。
<じゃあ土曜、駅に十時ね。土曜負けたら日曜は試合ないんだけど、T高校は優勝候補だから、きっと勝って日曜は決勝戦行けると思う。そうなったら、また日曜も試合一緒に観に行こ!>
負けたら、日曜は試合がない。
勝ちますように。負けませんように。以前よりもずっと応援に力を入れる。
会えるチャンスがあるなら、会いたい。
静かに、けれども強く。そう願いながら、
<うん、勿論。誘ってくれてありがとう>
麻衣ちゃんに、そう返信した。
携帯電話を閉じ、カレンダーで日付を確認した。何度も何度も。どれだけ確認しても、やはり土曜までは、あと五日もある。
早く土曜にならないだろうか。またあの彼に会えるかも知れないんだ。もしも土曜彼に会えても、彼は私の事など知らないのだろうけれど。
事の成り行きに一喜一憂する自分が何だか可笑しくて、私は小さく苦笑した。
待ち合わせの駅で合流すると、すぐに切符売り場で切符を買った。
今日の試合会場はA高校。
遠い場所だから、今日は汽車に乗って行かなければならない。田舎のため、電車・新幹線・地下鉄など、そんな立派なものはなかった。
「ねぇねぇ、雪音ちゃんは試合観てて、誰かいい人見付けた?」
汽車に乗り込み景色を眺めていると、向かいに座る麻衣ちゃんが、突然嬉しそうに尋ねて来た。
唐突な質問に驚き、私は言葉を濁してしまった。
「いい人……?」視線を僅かに彷徨わせながら呟いた。
彼。
脳裏に、彼が浮かぶ。
私はこの事を言おうか言わまいか迷った。
いい人。
私の中には、否定のしようがないくらいに、あの彼がハッキリと浮かんでしまっていた。
麻衣ちゃんが信用するに値しないから言いたくないのではなかった。ただ、試合を一度観戦しただけで彼がいいだなんて、それは凄く軽い女な気がしたから。
そんな理由の所為でなかなか言い出せなかった。しかし、――この考えは麻衣ちゃんを利用するみたいで気が引けるが、彼は、麻衣ちゃんの彼と同じ学校だから、もしかしたら彼について何か分かるかも知れない。
そう思ったから、言ってみようと思った。
「……実は、いいなって思う人、いたんだ。麻衣ちゃんの彼と同じ学校の人なんだけど……」
「え、マジ? レギュラー?」
「ううん。ユニフォーム着てなかったから、レギュラーでも控えでもないと思う」
「応援にいた人?」
「うん」
「応援の人かぁ。いっぱいいるから分からないね。何か特徴とかは?」
そう尋ねられたから、記憶を辿り、あの時の彼を思い出していた。
特徴……特徴……。
あ。
「そういえば、ジャージじゃなくて、上は黒いスウェット着てた」
「ああーっ! 黒いスウェットは二・三年生しか持ってないらしいから、多分二年の人だよ! 三年は確か全員レギュラーだから」
「二年……、同い年なんだ。幼い顔立ちだったから、一年生かと思った」
どちらであっても特に気にはしなかったけれど。
「二年なら絶対うちの彼氏と友達だよ! 彼氏に聞いて、二年生の情報聞いてみようか。雪音ちゃんの言ってる人が誰か分かればいいんだけどね」
「うん……! ありがとう。実はあの日以来その人の事忘れられなくて。話がしてみたいなとか、メールしてみたいなとか、色々考えてた。素敵な人だったから、もしかしたら彼女がいるかも知れないけど……」
言葉の後半は憶測でしかないのに、どんどん気持ちが沈んで行くのを感じた。
「どうだろうね。一応彼氏に聞いてみるよ」
「ありがとう」
そんな話をしながら、汽車が目的の場所に到着するのを、景色を眺めながら待っていた。
今回の会場になっている体育館は、以前の体育館に比べ、かなり狭かった。その所為だろうか、何だか以前より人が多く感じるのは。歩くのが若干困難だった。
周囲を見渡すと、男子目当てなのだろうか。A高校の女子は、部活が終わっても帰らずに、固まりを作ってあちこちに群がっていた。
人の多さに、辟易する。
でも、今はそんな事より──……。
歩く事を億劫がる足を叱咤して、体育館の二階へ上がった。手摺りをぎゅっと握り締めて、下を見下ろしながら、目的の彼を探す。
「あ」
いた。
彼を見付けた途端、感極まり、不覚にも泣きそうになってしまった。
自分は彼がどんな人なのか知らない。それどころか、名前すら知らないのだ。
彼の方も、自分の事など知らないし、こうして今見られている事も、気付いていない。彼は私の存在自体、今はまだ認識していないのだ。
それでも、彼の姿を見られて、凄く嬉しかった。
この感情を、烏滸がましくも“好き”だなんて、言ってもいいのだろうか――……。
「例の人いた?」
私の表情から目的の彼がいないとでも思ったのか、麻衣ちゃんは不安そうな表情で尋ねて来た。
「あ、うん。いたよ」
私が笑顔で答えると、
「そっか、良かったじゃん」
そう言って、麻衣ちゃんの表情は明るくなった。
「どれ?」
「あそこ。黒い服の。ステージに寄り掛かって隣の人と話してる人」
私は失礼でない程度に軽く指を向け、麻衣ちゃんにそう説明した。
彼は今日も黒いスウェットを着用していて、下は学校指定のジャージを履いている、そんな格好だった。彼の周辺には同じ格好をした人はいなかったから、これで麻衣ちゃんも彼の事は分かった筈。
「ああ、あの人見たことあるわ!」
T高校のバレー部員が、のろのろと立ち上がる様子を見ながら、麻衣ちゃんは興奮気味に言った。
今は試合前の準備運動で、各校のバレー部員が、代わる代わるコートを使用している。彼の学校はコートやスペースが空くまで待機していた。立ち上がり動き出すと言う事は、どうやら漸くコートが使えるのだろう。
ユニフォームを着用していない彼は、恐らく試合には出ない。試合に出ている彼を見てみたかったけれど、今は彼に会えるだけで充分だと思った。
「あの人、多分彼氏とも友達だと思うよ。名前までは分からないけど」
「そっか。……彼女は、いるのかな」
「どうだろう。でも何かいそうだよね、カッコイイし」
「……」
何も、言えなかった。
沈んでいく私の心。麻衣ちゃんの些細な言動に、表情をどんどん曇らせていった。
こんなに大勢女の子が観戦しているのだから、自分以外にも彼に恋する人はいるかも知れない。もしくは、もう既に……。周囲を軽く見渡しながら、憶測であるにも関わらず、ショックを受けていた。
「試合、始まるみたいだね」
麻衣ちゃんのその言葉に、俯き加減だった顔を上げた。
あれこれ考えていても、どうせ彼の事はまだ何も分からないのだ。まだ、何も始まっていない。だから終わる事なんてないんだよ。
自分に言い聞かせて。
T高校が勝ちますように。
そう願いながら、試合に集中する事にした。
さぁ、試合が始まる────。
私は先月誕生日を迎え、十七歳になった。
私は未だに、あの日目を奪われてしまった少年を、忘れられずにいた。
名前は、何と言うのだろう? 応援席にいたし、顔も幼そうだったから、もしかしたら一年生かも知れない。出来る事なら、また会いたい、話しがしてみたい。でも、名前も知らない。彼については何も知らないのだ。もしかしたら彼には彼女が、いるかも知れない。
思考を巡らせては、落ち込んでいたのだけれど、突然鳴り響くメールの受信音に、思考は遮られた。携帯電話に視線を向ける。そして、テーブルの上に置いていた携帯電話に、手を伸ばした。
画面を確認すると、それは麻衣ちゃんからだと知らせていた。
<今週の土日に、またバレーの試合があるんだけど、一緒に行かない?>
メールを見た途端、曇っていた表情が一気に明るくなる。重い心までもが軽くなった気さえする。なんて現金な心なんだろうか。
返事に迷う事などない。だって、また会えるんだ……!
彼の事など何も知らないけれど、もしかしたら彼女だって、既にいるかも知れないけれど、それでも。まだ、分からないから。今の所“絶対”って訳じゃない。彼に会えるなら、今は何でも嬉しかった。
<また試合があるんだ。勿論行く>
すぐにそう返信した。
<じゃあ土曜、駅に十時ね。土曜負けたら日曜は試合ないんだけど、T高校は優勝候補だから、きっと勝って日曜は決勝戦行けると思う。そうなったら、また日曜も試合一緒に観に行こ!>
負けたら、日曜は試合がない。
勝ちますように。負けませんように。以前よりもずっと応援に力を入れる。
会えるチャンスがあるなら、会いたい。
静かに、けれども強く。そう願いながら、
<うん、勿論。誘ってくれてありがとう>
麻衣ちゃんに、そう返信した。
携帯電話を閉じ、カレンダーで日付を確認した。何度も何度も。どれだけ確認しても、やはり土曜までは、あと五日もある。
早く土曜にならないだろうか。またあの彼に会えるかも知れないんだ。もしも土曜彼に会えても、彼は私の事など知らないのだろうけれど。
事の成り行きに一喜一憂する自分が何だか可笑しくて、私は小さく苦笑した。
待ち合わせの駅で合流すると、すぐに切符売り場で切符を買った。
今日の試合会場はA高校。
遠い場所だから、今日は汽車に乗って行かなければならない。田舎のため、電車・新幹線・地下鉄など、そんな立派なものはなかった。
「ねぇねぇ、雪音ちゃんは試合観てて、誰かいい人見付けた?」
汽車に乗り込み景色を眺めていると、向かいに座る麻衣ちゃんが、突然嬉しそうに尋ねて来た。
唐突な質問に驚き、私は言葉を濁してしまった。
「いい人……?」視線を僅かに彷徨わせながら呟いた。
彼。
脳裏に、彼が浮かぶ。
私はこの事を言おうか言わまいか迷った。
いい人。
私の中には、否定のしようがないくらいに、あの彼がハッキリと浮かんでしまっていた。
麻衣ちゃんが信用するに値しないから言いたくないのではなかった。ただ、試合を一度観戦しただけで彼がいいだなんて、それは凄く軽い女な気がしたから。
そんな理由の所為でなかなか言い出せなかった。しかし、――この考えは麻衣ちゃんを利用するみたいで気が引けるが、彼は、麻衣ちゃんの彼と同じ学校だから、もしかしたら彼について何か分かるかも知れない。
そう思ったから、言ってみようと思った。
「……実は、いいなって思う人、いたんだ。麻衣ちゃんの彼と同じ学校の人なんだけど……」
「え、マジ? レギュラー?」
「ううん。ユニフォーム着てなかったから、レギュラーでも控えでもないと思う」
「応援にいた人?」
「うん」
「応援の人かぁ。いっぱいいるから分からないね。何か特徴とかは?」
そう尋ねられたから、記憶を辿り、あの時の彼を思い出していた。
特徴……特徴……。
あ。
「そういえば、ジャージじゃなくて、上は黒いスウェット着てた」
「ああーっ! 黒いスウェットは二・三年生しか持ってないらしいから、多分二年の人だよ! 三年は確か全員レギュラーだから」
「二年……、同い年なんだ。幼い顔立ちだったから、一年生かと思った」
どちらであっても特に気にはしなかったけれど。
「二年なら絶対うちの彼氏と友達だよ! 彼氏に聞いて、二年生の情報聞いてみようか。雪音ちゃんの言ってる人が誰か分かればいいんだけどね」
「うん……! ありがとう。実はあの日以来その人の事忘れられなくて。話がしてみたいなとか、メールしてみたいなとか、色々考えてた。素敵な人だったから、もしかしたら彼女がいるかも知れないけど……」
言葉の後半は憶測でしかないのに、どんどん気持ちが沈んで行くのを感じた。
「どうだろうね。一応彼氏に聞いてみるよ」
「ありがとう」
そんな話をしながら、汽車が目的の場所に到着するのを、景色を眺めながら待っていた。
今回の会場になっている体育館は、以前の体育館に比べ、かなり狭かった。その所為だろうか、何だか以前より人が多く感じるのは。歩くのが若干困難だった。
周囲を見渡すと、男子目当てなのだろうか。A高校の女子は、部活が終わっても帰らずに、固まりを作ってあちこちに群がっていた。
人の多さに、辟易する。
でも、今はそんな事より──……。
歩く事を億劫がる足を叱咤して、体育館の二階へ上がった。手摺りをぎゅっと握り締めて、下を見下ろしながら、目的の彼を探す。
「あ」
いた。
彼を見付けた途端、感極まり、不覚にも泣きそうになってしまった。
自分は彼がどんな人なのか知らない。それどころか、名前すら知らないのだ。
彼の方も、自分の事など知らないし、こうして今見られている事も、気付いていない。彼は私の存在自体、今はまだ認識していないのだ。
それでも、彼の姿を見られて、凄く嬉しかった。
この感情を、烏滸がましくも“好き”だなんて、言ってもいいのだろうか――……。
「例の人いた?」
私の表情から目的の彼がいないとでも思ったのか、麻衣ちゃんは不安そうな表情で尋ねて来た。
「あ、うん。いたよ」
私が笑顔で答えると、
「そっか、良かったじゃん」
そう言って、麻衣ちゃんの表情は明るくなった。
「どれ?」
「あそこ。黒い服の。ステージに寄り掛かって隣の人と話してる人」
私は失礼でない程度に軽く指を向け、麻衣ちゃんにそう説明した。
彼は今日も黒いスウェットを着用していて、下は学校指定のジャージを履いている、そんな格好だった。彼の周辺には同じ格好をした人はいなかったから、これで麻衣ちゃんも彼の事は分かった筈。
「ああ、あの人見たことあるわ!」
T高校のバレー部員が、のろのろと立ち上がる様子を見ながら、麻衣ちゃんは興奮気味に言った。
今は試合前の準備運動で、各校のバレー部員が、代わる代わるコートを使用している。彼の学校はコートやスペースが空くまで待機していた。立ち上がり動き出すと言う事は、どうやら漸くコートが使えるのだろう。
ユニフォームを着用していない彼は、恐らく試合には出ない。試合に出ている彼を見てみたかったけれど、今は彼に会えるだけで充分だと思った。
「あの人、多分彼氏とも友達だと思うよ。名前までは分からないけど」
「そっか。……彼女は、いるのかな」
「どうだろう。でも何かいそうだよね、カッコイイし」
「……」
何も、言えなかった。
沈んでいく私の心。麻衣ちゃんの些細な言動に、表情をどんどん曇らせていった。
こんなに大勢女の子が観戦しているのだから、自分以外にも彼に恋する人はいるかも知れない。もしくは、もう既に……。周囲を軽く見渡しながら、憶測であるにも関わらず、ショックを受けていた。
「試合、始まるみたいだね」
麻衣ちゃんのその言葉に、俯き加減だった顔を上げた。
あれこれ考えていても、どうせ彼の事はまだ何も分からないのだ。まだ、何も始まっていない。だから終わる事なんてないんだよ。
自分に言い聞かせて。
T高校が勝ちますように。
そう願いながら、試合に集中する事にした。
さぁ、試合が始まる────。