真実の永眠
21話 微笑
それはきっと、唯一無二の。
狂おしい程に愛し。
壊れそうな心を、壊れてしまった心を、――それでも、と。
最後の最後まで、この心を掴んで離さなかった。
それはきっと、唯一無二の。
*
「そうなんだ」
右手に携帯電話を持ち、右耳に当てたそれの向こうにいる相手に、私は笑い掛けた。
話し出してからもうかれこれ一時間は経過している。
私が電話をしている、その相手とは。
優人、だ。
昨日急に電話で話したくなった私は、メールのやり取りの途中、ドキドキしながら明日電話をしてもいいかと尋ねた。
それに対し優人は、快くOKしてくれたと言う訳だ。
「――そうだ。心理テストしていい?」
次は何を話そうかと考えていて、ふとその話題を思い付いた私は、優人にそう言った。
前にメールでそれをした時、意外にも優人は楽しそうで、こういったのは好きなんだと聞かされた事があったのを、ふと思い出した。
『うん、いいよ』
心なしか、優人の声色が明るく感じる。
「じゃあ――」
私は、以前自分がされたもので憶えていたものを、優人にもする事にした。
互いに楽しめて優人の事も分かる。一石二鳥だ。
当たってた? そう聞くと、割と当たっていたみたいで、優人は楽しそうだった。他にはないの? なんて聞いて来る程に。
電話を掛ける時も、こうして話している今だって、私は緊張して心の中であたふたしてしまう。表に出さないよう努めてはいるが、やはりそれが沈黙として形に出てしまう。それでも優人はこうして一時間も話してくれているし、話題を出してもくれる。だからとてもありがたかったし、本当に嬉しかった。
優人が電話に出て、「何かしてた?」と私が尋ねた時も、「風呂入ってた」なんて言っていて、それが自分との電話をゆっくりする為だと思うと、それだけで本当に幸せだった。
そういえば前回もそうだったな、なんて思い返して、更に嬉しくなった。
今日もこの一時間、色んな話をした。
試合が先日行われ私もそれを観戦していたしで、私達にとっていい話題になった。
『そういえば、携帯新しいのに変えたい』
不意に優人がそんな事を言って来た。
「そうなんだ。私も変えたいなぁ。Nの新機種に水色があるんだけど、それが欲しい。凄く綺麗な色なの」
『HOMA(ホーマ)の?』
「そうそう!」
私は前々から目を付けていた携帯電話の話をした。初めてそれを見た瞬間から、絶対にこれを買う! と決めていたもので、発売をずっと楽しみにしているのだ。
携帯電話のチラシか雑誌を見ているのだろうか、優人は私の欲しいと思っているものがどんなものか分かっているようだ。
因みに、私達が使っている携帯会社はbocomo(ボコモです、ボコモ)だ。
『俺は、その機種の茶色がいいな』
……え?
同じ、携帯? 色違い……?
一瞬言葉に詰まったが、ここは敢えて何も思わなかった事にしようと、普通に返事をした。
ここで“同じ携帯”“色違い”を強調して、「やっぱやめた」ってなったら嫌だから。
「そうなんだ。優人が茶色って、何か意外だね」
『そうかなぁ? 茶色も好きだよ』
優人から紡ぎ出される言葉に、私は少しばかり動揺していた。
優人って茶色好きだったっけ……? 白なら知ってるけど……。もしかして……。
私は浮かんだ考えを振り払うように、頭をぶんぶんと横に振った。
違う……! 自分と同じ携帯を持ちたいと思っている訳じゃない。欲しいと思う携帯がたまたま一緒だっただけだ……!
そんな風に思い直す。
それに、絶対に買うとは言っていない。それがいいって思っていながらも結局買わない事の方が実は多かったりする。うんそうだ、きっとそれだ。
「茶色も好きなんだ。今の携帯は白だったよね?」
『そうだよ』
何ら変わりない口調(――と言っても、声、として話したのは二回だけだが)。
ほら、やはり欲しいと思った携帯がたまたま同じだったんだ。変な期待はするものじゃない。
私は勝手にそう結論付ける事にした。
携帯電話の話題も過ぎ、会話の途中で優人はテレビを点けた。何かいい話題にでもなれば、とでも考えたのだろう。
『あ。バナナケーキだって。バナナ好き?』
今テレビでやってる、そう付け加えられたその質問に、思わず笑ってしまった。
何とくだらない質問だろうか。きっと優人以外の人からそんな質問されたら、どうでも良過ぎてきっと自分は訝しげな表情で適当に答えるだろう。けれど優人の言葉は、どうでもいいものもどうでも良くない。こんな事でも質問してくれる事が嬉しくてたまらないなんて思ってしまう。
「バナナはあまり好きじゃないかな」
『あ、そうなの?』
「うん。優人は好きなの?」
『いや、普通。でも中学生の頃、背が伸びるようにっていっぱい食わされたから、そん時は流石に嫌になった』
電話の向こうで苦笑交じりに言う優人がおかしくて、更にその頃の情景を想像してみてもおかしくなってしまって、私はまた笑ってしまった。
「ふふ、そうなんだ。今背が高いのはバナナの効果?」
言いながら笑うと、
『……バナナ関係ない気がする。高校生になって伸びて来たし』
優人も笑いながら、返してくれた。
幸せだった。
あなたが笑って、私も笑って。
私が笑って、あなたも笑って。
時計を見ると、時刻は二十二時半になろうとしている所だった。それは優人と話して一時間半が経過している事を告げている。
もうそんなに時間が経っていたのか。
もう電話は終わってしまうかも知れない。いつも互いにこの時間には就寝の準備に入る。
「じゃあそろそろ……」その言葉をもうすぐ聞かなくてはならなくなる。
電話、止めたくないな……そんな風に考えていると、
『――ん? 何か言った?』
「えっ」
優人がそんな事言うものだから、一瞬何か口に出してしまったのかと焦ったが、漫画のように知らない間に口に出していたなんて事は流石にない。
焦ったが、この沈黙の中で不意にに紡ぎ出された言葉が、「じゃあそろそろ……」の言葉でなくて良かった、なんて思い、安堵の溜息が漏れた。
「え、ううん。何も言ってないよ。……ふふ」
更には「えへへ」と、何がそんなに嬉しいのか自分でもよく分からないが、とにかく今は何でも幸せに思えて、思わずにこにこと意味もなく笑ってしまった。
その時。
電話の向こうで、優人が。
微笑んだ。
今までにないくらいに、優しい、微笑み。
それはまるで、愛しい者に笑い掛けるように。
「……」
泣いてしまいそうだった。
顔を見ていなくても分かる。
声が、微かに聞こえる声が、優しかった。……優し、過ぎた。
幸せだった。
あなたが笑って、私も笑って。
私が笑って、あなたも笑って。
その微笑みに、更に心を奪われてしまった。
結局その後は、またいつものように他愛のない会話をして、二十三時過ぎに電話を切った。
今日は二時間も話していたという事になる。
私はそろそろ寝ようとベッドに寝転び目を閉じていたのだが、優人とのやり取りがどうしても思い出されてしまって、なかなか寝付けなかった。
恐らく気持ちが未だに高まっているのだろう。
笑ってくれた。微笑んでくれた。
あんなにも優しい微笑みが、声だけで分かる。顔を見ていたらどんなだっただろう。
嬉しくて、幸せで。幸せ過ぎて、胸が痛む。
なんて幸せな痛みなんだろうと、他人事のように思う自分がいる。
そうだ、痛い。あまりにも幸せで。
締め付けられる胸を押さえながら、ただただ今日の電話でのやり取りを、思い返していた。
きっと自分は、この先何があっても、あの微笑みだけで生きて行ける。
そう思わせる程に、優し過ぎた微笑みだった。
*
――幸せ過ぎたんだ、きっと。
その微笑みに、どれだけ自分は救われて来たのだろう。
どれだけ生きる力に、どれだけあなたを愛して行く力になったのだろう。
――残酷過ぎたんだ、きっと。
その微笑みが、どれだけ自分を苦しめて来たのだろう。
どれだけ生きる力に、どれだけあなたを愛して行く力に、
残酷、過ぎたのだろう。
けれど。
最後の最後まで、この心を掴んで離さなかった。
それはきっと、唯一無二の――……
微笑み。
狂おしい程に愛し。
壊れそうな心を、壊れてしまった心を、――それでも、と。
最後の最後まで、この心を掴んで離さなかった。
それはきっと、唯一無二の。
*
「そうなんだ」
右手に携帯電話を持ち、右耳に当てたそれの向こうにいる相手に、私は笑い掛けた。
話し出してからもうかれこれ一時間は経過している。
私が電話をしている、その相手とは。
優人、だ。
昨日急に電話で話したくなった私は、メールのやり取りの途中、ドキドキしながら明日電話をしてもいいかと尋ねた。
それに対し優人は、快くOKしてくれたと言う訳だ。
「――そうだ。心理テストしていい?」
次は何を話そうかと考えていて、ふとその話題を思い付いた私は、優人にそう言った。
前にメールでそれをした時、意外にも優人は楽しそうで、こういったのは好きなんだと聞かされた事があったのを、ふと思い出した。
『うん、いいよ』
心なしか、優人の声色が明るく感じる。
「じゃあ――」
私は、以前自分がされたもので憶えていたものを、優人にもする事にした。
互いに楽しめて優人の事も分かる。一石二鳥だ。
当たってた? そう聞くと、割と当たっていたみたいで、優人は楽しそうだった。他にはないの? なんて聞いて来る程に。
電話を掛ける時も、こうして話している今だって、私は緊張して心の中であたふたしてしまう。表に出さないよう努めてはいるが、やはりそれが沈黙として形に出てしまう。それでも優人はこうして一時間も話してくれているし、話題を出してもくれる。だからとてもありがたかったし、本当に嬉しかった。
優人が電話に出て、「何かしてた?」と私が尋ねた時も、「風呂入ってた」なんて言っていて、それが自分との電話をゆっくりする為だと思うと、それだけで本当に幸せだった。
そういえば前回もそうだったな、なんて思い返して、更に嬉しくなった。
今日もこの一時間、色んな話をした。
試合が先日行われ私もそれを観戦していたしで、私達にとっていい話題になった。
『そういえば、携帯新しいのに変えたい』
不意に優人がそんな事を言って来た。
「そうなんだ。私も変えたいなぁ。Nの新機種に水色があるんだけど、それが欲しい。凄く綺麗な色なの」
『HOMA(ホーマ)の?』
「そうそう!」
私は前々から目を付けていた携帯電話の話をした。初めてそれを見た瞬間から、絶対にこれを買う! と決めていたもので、発売をずっと楽しみにしているのだ。
携帯電話のチラシか雑誌を見ているのだろうか、優人は私の欲しいと思っているものがどんなものか分かっているようだ。
因みに、私達が使っている携帯会社はbocomo(ボコモです、ボコモ)だ。
『俺は、その機種の茶色がいいな』
……え?
同じ、携帯? 色違い……?
一瞬言葉に詰まったが、ここは敢えて何も思わなかった事にしようと、普通に返事をした。
ここで“同じ携帯”“色違い”を強調して、「やっぱやめた」ってなったら嫌だから。
「そうなんだ。優人が茶色って、何か意外だね」
『そうかなぁ? 茶色も好きだよ』
優人から紡ぎ出される言葉に、私は少しばかり動揺していた。
優人って茶色好きだったっけ……? 白なら知ってるけど……。もしかして……。
私は浮かんだ考えを振り払うように、頭をぶんぶんと横に振った。
違う……! 自分と同じ携帯を持ちたいと思っている訳じゃない。欲しいと思う携帯がたまたま一緒だっただけだ……!
そんな風に思い直す。
それに、絶対に買うとは言っていない。それがいいって思っていながらも結局買わない事の方が実は多かったりする。うんそうだ、きっとそれだ。
「茶色も好きなんだ。今の携帯は白だったよね?」
『そうだよ』
何ら変わりない口調(――と言っても、声、として話したのは二回だけだが)。
ほら、やはり欲しいと思った携帯がたまたま同じだったんだ。変な期待はするものじゃない。
私は勝手にそう結論付ける事にした。
携帯電話の話題も過ぎ、会話の途中で優人はテレビを点けた。何かいい話題にでもなれば、とでも考えたのだろう。
『あ。バナナケーキだって。バナナ好き?』
今テレビでやってる、そう付け加えられたその質問に、思わず笑ってしまった。
何とくだらない質問だろうか。きっと優人以外の人からそんな質問されたら、どうでも良過ぎてきっと自分は訝しげな表情で適当に答えるだろう。けれど優人の言葉は、どうでもいいものもどうでも良くない。こんな事でも質問してくれる事が嬉しくてたまらないなんて思ってしまう。
「バナナはあまり好きじゃないかな」
『あ、そうなの?』
「うん。優人は好きなの?」
『いや、普通。でも中学生の頃、背が伸びるようにっていっぱい食わされたから、そん時は流石に嫌になった』
電話の向こうで苦笑交じりに言う優人がおかしくて、更にその頃の情景を想像してみてもおかしくなってしまって、私はまた笑ってしまった。
「ふふ、そうなんだ。今背が高いのはバナナの効果?」
言いながら笑うと、
『……バナナ関係ない気がする。高校生になって伸びて来たし』
優人も笑いながら、返してくれた。
幸せだった。
あなたが笑って、私も笑って。
私が笑って、あなたも笑って。
時計を見ると、時刻は二十二時半になろうとしている所だった。それは優人と話して一時間半が経過している事を告げている。
もうそんなに時間が経っていたのか。
もう電話は終わってしまうかも知れない。いつも互いにこの時間には就寝の準備に入る。
「じゃあそろそろ……」その言葉をもうすぐ聞かなくてはならなくなる。
電話、止めたくないな……そんな風に考えていると、
『――ん? 何か言った?』
「えっ」
優人がそんな事言うものだから、一瞬何か口に出してしまったのかと焦ったが、漫画のように知らない間に口に出していたなんて事は流石にない。
焦ったが、この沈黙の中で不意にに紡ぎ出された言葉が、「じゃあそろそろ……」の言葉でなくて良かった、なんて思い、安堵の溜息が漏れた。
「え、ううん。何も言ってないよ。……ふふ」
更には「えへへ」と、何がそんなに嬉しいのか自分でもよく分からないが、とにかく今は何でも幸せに思えて、思わずにこにこと意味もなく笑ってしまった。
その時。
電話の向こうで、優人が。
微笑んだ。
今までにないくらいに、優しい、微笑み。
それはまるで、愛しい者に笑い掛けるように。
「……」
泣いてしまいそうだった。
顔を見ていなくても分かる。
声が、微かに聞こえる声が、優しかった。……優し、過ぎた。
幸せだった。
あなたが笑って、私も笑って。
私が笑って、あなたも笑って。
その微笑みに、更に心を奪われてしまった。
結局その後は、またいつものように他愛のない会話をして、二十三時過ぎに電話を切った。
今日は二時間も話していたという事になる。
私はそろそろ寝ようとベッドに寝転び目を閉じていたのだが、優人とのやり取りがどうしても思い出されてしまって、なかなか寝付けなかった。
恐らく気持ちが未だに高まっているのだろう。
笑ってくれた。微笑んでくれた。
あんなにも優しい微笑みが、声だけで分かる。顔を見ていたらどんなだっただろう。
嬉しくて、幸せで。幸せ過ぎて、胸が痛む。
なんて幸せな痛みなんだろうと、他人事のように思う自分がいる。
そうだ、痛い。あまりにも幸せで。
締め付けられる胸を押さえながら、ただただ今日の電話でのやり取りを、思い返していた。
きっと自分は、この先何があっても、あの微笑みだけで生きて行ける。
そう思わせる程に、優し過ぎた微笑みだった。
*
――幸せ過ぎたんだ、きっと。
その微笑みに、どれだけ自分は救われて来たのだろう。
どれだけ生きる力に、どれだけあなたを愛して行く力になったのだろう。
――残酷過ぎたんだ、きっと。
その微笑みが、どれだけ自分を苦しめて来たのだろう。
どれだけ生きる力に、どれだけあなたを愛して行く力に、
残酷、過ぎたのだろう。
けれど。
最後の最後まで、この心を掴んで離さなかった。
それはきっと、唯一無二の――……
微笑み。