真実の永眠
28話 裏側
「――別れちゃったの?」
「うん」
それは唐突だったと思う。
驚きを隠せずに問う私に、麻衣ちゃんは至極あっさりと短い返事を返してきた。
季節はもう、夏。
七月になり、毎日暑い日が続いている。
少しでも涼める場所を求めて、私達はファミレスへとやって来た。入り口を入って、窓際の一番奥の席へと座る。
日曜だから人が多いかと思ったのだが、この時間は割りと空いているみたいだった。けれどやはり、少なくはない。
「……何で?」
目の前の、ミルクティが注がれているグラスに入ったストローを手慰みに弄りながら、麻衣ちゃんに尋ねる。
からん、と氷が音を立てた。
「うーん、ヨリを戻したけど……やっぱり合わなかったんだと思う。喧嘩ばっかりだったし」
「そっか……」
視線をグラスに向けたまま、呟くようにそれだけ言った。
誰かと連絡を取り合っている様子の麻衣ちゃんは、携帯電話を何やら弄りながら、言葉を続けた。
「でも今は新しい彼氏が出来たんだ。学と同じT校の人」
「えっ、そうなの?」
衝撃的な事実に、私は目を見開いて麻衣ちゃんへとその視線をぶつける。
何もかもが初めて知る事実だ。――というのも、今まで麻衣ちゃんは彼と何か問題が起こったり、新しい恋の予感がする場合、何でも報告をして来ていたのだ。
しかし今回、何も聞いていない。彼氏とうまく行っていなかった事も、他にいい感じになっている人がいた事も何も。しかもその人物とはもう既に付き合っているのだと彼女は言う。
「うん。バレー部ではないんだけど桜井さんと同じクラスだし、しかもかなり仲がいいらしいから、これからはもっと協力出来るよ♪」
「……そうなんだ」
それは喜ばしい事なのだろうか……。
協力を得られる事は勿論嬉しいが、やはり松田さんと別れて欲しくなった私にとってそれは複雑だった。素直に、嬉しいもありがとうもおめでとうも、言えなかった。
一体どこでどうやって知り合うのだろうか。別れて割りとすぐに付き合っているのだから、交際中から既にその新しい彼とは連絡を取り合っていた事になるだろう。
松田さんが彼女に男を紹介する筈がない。では一体どうやって……?
聞こうか迷ったけれど、結局聞くのはやめた。そんな事、どうでもいい事だ。
私はミルクティを飲んで乾いた喉を潤すと、徐に口を開いた。
「……別れるのって、辛くない?」
普通なら、別れた直後に聞いてはならない野暮な言葉の一つだろうが、今回は聞いても大丈夫だろうと思った。麻衣ちゃんの目をじっと見つめながら、黙って言葉を待つ。
「うーん……さっきも言ったけど、喧嘩ばっかりだったからなぁ……お互いに冷めてたのかも。何より今新しい彼氏いるし、今の方が優しいし」
嬉しそうな笑顔。
まぁ要するに、大して辛くはなかったのだろう。
以前彼と別れた時は本当に辛そうだったのに、新しい出会いというものはこうも人の気持ちを変えてしまうものなのだろうか。
泣いている顔よりも、笑っている顔を見る方が、比較するまでもなく遥かにいいけれど。
不思議な、感覚だった。
けれどやっぱり、何だか別れてしまった事にこちらの方が寂しくなってしまって、私は「そっか」としか返せなかった。
店内にある掛け時計に目をやると、時刻は十五時半になる所だった。
お客さんが増えて来て、店内が先程よりも騒がしくなる。自分達のように友達同士で語り合っているお客さんが圧倒的に多い。この時間はこうして若者が席を陣取る。
「――てかさ、」
「?」
店内を見渡していた私は、声を発した麻衣ちゃんの方へ視線を向けた。
「……桜井さん、部活辞めたらしいよ」
「……え……?」
どうして……。
ご丁寧にもこの顔は、そんな言葉を張り付かせていたのだろう。
麻衣ちゃんは私の表情で感情を読み取り、理由を説明し始めた。
「……部内で揉め事があったんだって。その内容までは分からないけど……」
「……」
言葉を失う私に構わず、麻衣ちゃんは続ける。
「辞めたのは桜井さんだけじゃなく何人か辞めたみたいだけど、でも辞めたって事は、少なくともその揉め事に桜井さんも関係してるって事だよね」
唖然とした面持ちで、麻衣ちゃんの顔をただ見つめる事しか出来なかった。そして俯いてしまう。
話す側も辛いのか、彼女の声色は、どこか沈んでいるようだった。
店内に響く大きな笑い声に、何だか妙に不快感を覚えた。
「雪音ちゃん、最近桜井さんのメールが素っ気ないって言ってたじゃん? もしかしたら、その所為かも知れないよ。ほら、嫌な事あると、誰かと話す気分にはなれないし。部活の事でイライラする事もあったんだろうし」
「……そうかも、知れない……」
もう何を言ったらいいのか分からず、それから口を噤んでしまった。
テーブルの上で腕を組むような格好をして、そのまま考え込んだ様子の私を見て、麻衣ちゃんも暫くは何も言わなかった。
何も、知らなかった。知る術などないし、優人は何も言わなかったから、当然と言えばそうなのだけれど、やっぱり、悩んでいる時に知っておきたかった。自分の言葉で彼を救えるなんてそんな自惚れた事思ってはいないけれど、それでも何か声を掛けてあげられたら良かった。
自分の不甲斐無さに、嫌気がさす。
何気なく見つめた目の前のグラスは、早く飲まなかった所為で氷が溶けてしまって、ミルクティと水とが分離していた。
麻衣ちゃんに悟られないように小さく、けれども深い深い溜息で、心のモヤモヤを吐き出した。
「でも部活もないし、これで進路の事だけに集中出来るね。……桜井さんK短危ないらしいから」
ストレートティーをごくごくと飲んだ後、苦笑混じりに麻衣ちゃんは言った。
「そ、そうなの?」
「みたい。桜井さんの学力じゃ、ちょっと厳しいって先生に言われたらしーよ」
「そう、なんだ」
意外だった。何の根拠があってそう思ったのか、優人なら簡単に行けるものだと思っていた。
「うん。そういえばもうすぐK短のオープンキャンパスあるじゃん! 雪音ちゃんも行ってみたら? 桜井さんに会えるかもよ」
重くなった空気を変えるように、麻衣ちゃんは明るく言った。
「私はいいよ」
私は苦笑しながら答える。
第一自分はそこに行こうとも行きたいとも思っていない。何より今は優人に会いたくない。現在進行形でうまく行っていないのだ。向こうも自分に会いたくはないだろう。
私は、グラスの中のものをストローで掻き混ぜ、それを一気に飲み干した。水で味が薄くなってしまった為、あまり美味しいとは言えなかったが、喉を潤すには充分だった。
暫く雑談をした後、私達は店を出た。
家に帰ると、部屋に入り、すぐにベッドに寝転ぶ。
私は、先月買った水色の新しい携帯電話を開いて、優人とのメールを読み返していた。
暗くなる表情。
何度見返しても、素っ気ないメールは素っ気ないままで。
また楽しく話が出来る日は、来るのだろうか。
それを本気で悩んでしまう程に、もう何もかもが駄目になって来ていた。
今日知った優人の裏側。それが関係しているのだろうか。色々な事が重なり過ぎて、それでこんなに素っ気なく冷たいメールになってしまうのだろうか。
優人と最後にメールをしたのは、二週間前。
暫く間が空いているし、今なら少しは落ち着いているだろうか。
そう考えて、優人にメールを送った。
<ちょっとだけ久し振り。今メール大丈夫?>
……こんなメールしか送れないから、彼は遠ざかってしまうのかも知れない。
しかし、他に何と言えばいいのか分からなくて。
自分なりに、彼がメールを楽しめるような内容を考えてはみたけれど、結局こんな内容しか送れなかった。
部活辞めたんだね。
大丈夫?
辛い事があったら言ってね。
何だかどの台詞も鬱陶しい気がした。わざわざ嫌な事を持ち出す事程鬱陶しいものはないだろう。少なくとも、自分はそうであった。
だから何も知らない振りで、いつも通り自分は元気に。……そう思ってメールをしたのだけれど。
<ごめん。今日は疲れてるから>
早かった優人からの返信には、そう書かれていた。
「――――……」
もう全てが、どうでも良かった。
悩む事も考える事も、泣く事も笑う事も、何だかしたくなくて、結局全てを放棄した。……した筈なのに。何もかもがどうでもいい筈なのに。
泣きそうになる自分がいる。結局泣いてしまった自分がいる。
<疲れてるのにごめんね。ゆっくり休んでね>
いい人ぶった台詞を吐いて、嫌われたくないが為に、自分の感情を言えずにいる。“言える立場じゃないから”……それが一番大きな理由だが。
もう二度と、笑ってはくれないのだろうか。
もう二度と、名前を呼んではくれないのだろうか。
そんなどうしようもない気持ちばかりが溢れて来て、それはもう、誰にも止める事は出来なかった。
携帯電話を握り締めて、ただただ涙を零した。
その所為で枕が濡れてしまうけれど、そんな事に拘泥している余裕もなかった。
「うん」
それは唐突だったと思う。
驚きを隠せずに問う私に、麻衣ちゃんは至極あっさりと短い返事を返してきた。
季節はもう、夏。
七月になり、毎日暑い日が続いている。
少しでも涼める場所を求めて、私達はファミレスへとやって来た。入り口を入って、窓際の一番奥の席へと座る。
日曜だから人が多いかと思ったのだが、この時間は割りと空いているみたいだった。けれどやはり、少なくはない。
「……何で?」
目の前の、ミルクティが注がれているグラスに入ったストローを手慰みに弄りながら、麻衣ちゃんに尋ねる。
からん、と氷が音を立てた。
「うーん、ヨリを戻したけど……やっぱり合わなかったんだと思う。喧嘩ばっかりだったし」
「そっか……」
視線をグラスに向けたまま、呟くようにそれだけ言った。
誰かと連絡を取り合っている様子の麻衣ちゃんは、携帯電話を何やら弄りながら、言葉を続けた。
「でも今は新しい彼氏が出来たんだ。学と同じT校の人」
「えっ、そうなの?」
衝撃的な事実に、私は目を見開いて麻衣ちゃんへとその視線をぶつける。
何もかもが初めて知る事実だ。――というのも、今まで麻衣ちゃんは彼と何か問題が起こったり、新しい恋の予感がする場合、何でも報告をして来ていたのだ。
しかし今回、何も聞いていない。彼氏とうまく行っていなかった事も、他にいい感じになっている人がいた事も何も。しかもその人物とはもう既に付き合っているのだと彼女は言う。
「うん。バレー部ではないんだけど桜井さんと同じクラスだし、しかもかなり仲がいいらしいから、これからはもっと協力出来るよ♪」
「……そうなんだ」
それは喜ばしい事なのだろうか……。
協力を得られる事は勿論嬉しいが、やはり松田さんと別れて欲しくなった私にとってそれは複雑だった。素直に、嬉しいもありがとうもおめでとうも、言えなかった。
一体どこでどうやって知り合うのだろうか。別れて割りとすぐに付き合っているのだから、交際中から既にその新しい彼とは連絡を取り合っていた事になるだろう。
松田さんが彼女に男を紹介する筈がない。では一体どうやって……?
聞こうか迷ったけれど、結局聞くのはやめた。そんな事、どうでもいい事だ。
私はミルクティを飲んで乾いた喉を潤すと、徐に口を開いた。
「……別れるのって、辛くない?」
普通なら、別れた直後に聞いてはならない野暮な言葉の一つだろうが、今回は聞いても大丈夫だろうと思った。麻衣ちゃんの目をじっと見つめながら、黙って言葉を待つ。
「うーん……さっきも言ったけど、喧嘩ばっかりだったからなぁ……お互いに冷めてたのかも。何より今新しい彼氏いるし、今の方が優しいし」
嬉しそうな笑顔。
まぁ要するに、大して辛くはなかったのだろう。
以前彼と別れた時は本当に辛そうだったのに、新しい出会いというものはこうも人の気持ちを変えてしまうものなのだろうか。
泣いている顔よりも、笑っている顔を見る方が、比較するまでもなく遥かにいいけれど。
不思議な、感覚だった。
けれどやっぱり、何だか別れてしまった事にこちらの方が寂しくなってしまって、私は「そっか」としか返せなかった。
店内にある掛け時計に目をやると、時刻は十五時半になる所だった。
お客さんが増えて来て、店内が先程よりも騒がしくなる。自分達のように友達同士で語り合っているお客さんが圧倒的に多い。この時間はこうして若者が席を陣取る。
「――てかさ、」
「?」
店内を見渡していた私は、声を発した麻衣ちゃんの方へ視線を向けた。
「……桜井さん、部活辞めたらしいよ」
「……え……?」
どうして……。
ご丁寧にもこの顔は、そんな言葉を張り付かせていたのだろう。
麻衣ちゃんは私の表情で感情を読み取り、理由を説明し始めた。
「……部内で揉め事があったんだって。その内容までは分からないけど……」
「……」
言葉を失う私に構わず、麻衣ちゃんは続ける。
「辞めたのは桜井さんだけじゃなく何人か辞めたみたいだけど、でも辞めたって事は、少なくともその揉め事に桜井さんも関係してるって事だよね」
唖然とした面持ちで、麻衣ちゃんの顔をただ見つめる事しか出来なかった。そして俯いてしまう。
話す側も辛いのか、彼女の声色は、どこか沈んでいるようだった。
店内に響く大きな笑い声に、何だか妙に不快感を覚えた。
「雪音ちゃん、最近桜井さんのメールが素っ気ないって言ってたじゃん? もしかしたら、その所為かも知れないよ。ほら、嫌な事あると、誰かと話す気分にはなれないし。部活の事でイライラする事もあったんだろうし」
「……そうかも、知れない……」
もう何を言ったらいいのか分からず、それから口を噤んでしまった。
テーブルの上で腕を組むような格好をして、そのまま考え込んだ様子の私を見て、麻衣ちゃんも暫くは何も言わなかった。
何も、知らなかった。知る術などないし、優人は何も言わなかったから、当然と言えばそうなのだけれど、やっぱり、悩んでいる時に知っておきたかった。自分の言葉で彼を救えるなんてそんな自惚れた事思ってはいないけれど、それでも何か声を掛けてあげられたら良かった。
自分の不甲斐無さに、嫌気がさす。
何気なく見つめた目の前のグラスは、早く飲まなかった所為で氷が溶けてしまって、ミルクティと水とが分離していた。
麻衣ちゃんに悟られないように小さく、けれども深い深い溜息で、心のモヤモヤを吐き出した。
「でも部活もないし、これで進路の事だけに集中出来るね。……桜井さんK短危ないらしいから」
ストレートティーをごくごくと飲んだ後、苦笑混じりに麻衣ちゃんは言った。
「そ、そうなの?」
「みたい。桜井さんの学力じゃ、ちょっと厳しいって先生に言われたらしーよ」
「そう、なんだ」
意外だった。何の根拠があってそう思ったのか、優人なら簡単に行けるものだと思っていた。
「うん。そういえばもうすぐK短のオープンキャンパスあるじゃん! 雪音ちゃんも行ってみたら? 桜井さんに会えるかもよ」
重くなった空気を変えるように、麻衣ちゃんは明るく言った。
「私はいいよ」
私は苦笑しながら答える。
第一自分はそこに行こうとも行きたいとも思っていない。何より今は優人に会いたくない。現在進行形でうまく行っていないのだ。向こうも自分に会いたくはないだろう。
私は、グラスの中のものをストローで掻き混ぜ、それを一気に飲み干した。水で味が薄くなってしまった為、あまり美味しいとは言えなかったが、喉を潤すには充分だった。
暫く雑談をした後、私達は店を出た。
家に帰ると、部屋に入り、すぐにベッドに寝転ぶ。
私は、先月買った水色の新しい携帯電話を開いて、優人とのメールを読み返していた。
暗くなる表情。
何度見返しても、素っ気ないメールは素っ気ないままで。
また楽しく話が出来る日は、来るのだろうか。
それを本気で悩んでしまう程に、もう何もかもが駄目になって来ていた。
今日知った優人の裏側。それが関係しているのだろうか。色々な事が重なり過ぎて、それでこんなに素っ気なく冷たいメールになってしまうのだろうか。
優人と最後にメールをしたのは、二週間前。
暫く間が空いているし、今なら少しは落ち着いているだろうか。
そう考えて、優人にメールを送った。
<ちょっとだけ久し振り。今メール大丈夫?>
……こんなメールしか送れないから、彼は遠ざかってしまうのかも知れない。
しかし、他に何と言えばいいのか分からなくて。
自分なりに、彼がメールを楽しめるような内容を考えてはみたけれど、結局こんな内容しか送れなかった。
部活辞めたんだね。
大丈夫?
辛い事があったら言ってね。
何だかどの台詞も鬱陶しい気がした。わざわざ嫌な事を持ち出す事程鬱陶しいものはないだろう。少なくとも、自分はそうであった。
だから何も知らない振りで、いつも通り自分は元気に。……そう思ってメールをしたのだけれど。
<ごめん。今日は疲れてるから>
早かった優人からの返信には、そう書かれていた。
「――――……」
もう全てが、どうでも良かった。
悩む事も考える事も、泣く事も笑う事も、何だかしたくなくて、結局全てを放棄した。……した筈なのに。何もかもがどうでもいい筈なのに。
泣きそうになる自分がいる。結局泣いてしまった自分がいる。
<疲れてるのにごめんね。ゆっくり休んでね>
いい人ぶった台詞を吐いて、嫌われたくないが為に、自分の感情を言えずにいる。“言える立場じゃないから”……それが一番大きな理由だが。
もう二度と、笑ってはくれないのだろうか。
もう二度と、名前を呼んではくれないのだろうか。
そんなどうしようもない気持ちばかりが溢れて来て、それはもう、誰にも止める事は出来なかった。
携帯電話を握り締めて、ただただ涙を零した。
その所為で枕が濡れてしまうけれど、そんな事に拘泥している余裕もなかった。