真実の永眠
29話 曖昧
曖昧な言葉。
それが何よりも相手を傷付けてしまうのだろう。
それを知っていてくれたら……少しはこの心も、救われていたかも知れないのに。
*
暑くて暑くて、汗が滴る夏。七月も後半だ。
後半と言えば、夏休み。夏休みが始まって、けれどその殆どがバイトで埋められ、あまり自分の時間というものがなかった。
自分でそうしたのだから、それに文句なんてない。
朝から夕方、時に晩まで働いて、休みは週に一~二日。ハードかな、なんて思ったけれど、もう約一年も働けば慣れて来るし、寧ろ仕事は仕事と割り切ってそれだけに集中すればいいのだから、学校よりも家にいるよりも、仕事の方が居心地良く感じていた。
私は部屋で扇風機に当たりながら寛いで、そんな事をぼんやりと考えていた。
今日もバイトを終えて、寄り道もせずすぐに帰宅した。
「はぁ……」
溜息の数が多くなる、最近。……それはずっと前からか。
ベッドの横に座り込んで、背をそれに凭れながら、そんな事を思った。
もう何もかもが面倒で、仕事以外で外に出るのも億劫で。友達と会うのも何だか面倒に感じる最近。こうまでも心を、たった一人の人間によって変えられてしまうものなのだろうか。
優人とはメールをしない日々が続いている。
ただメールをしないだけなら何ともない。問題は、メールをした時の内容。
正直、優人からもう何も聞きたくない。話したいけれど、話したくない。あんな風に冷たくされてしまうのなら。メールをする度に落ち込んでしまうのなら、もうメールは送らない方がいい。
それが優人の為、そして自分の為。
自分の為でもあるのに、けれどこんな状況で元気でいられる筈がなくて。だから無理に元気に振舞わなければならなくなる友達といるのは、面倒に思うのだ。
そう、面倒なのだ。何より笑う事が。
もうそんな風にしか考えられなくなっていた。
「……はぁ……」
鬱陶しい程の、溜息。けれど一人の時にしかつけない溜息。
何もかもが、面倒になって。そしたら何もかもが、うまく行かない気がした。
その中で唯一うまく行っているものは、やっぱり仕事だった。今は仕事だけ頑張っている様なものだった。仕事はいい、仕事だから。それだけに集中して、何も考えなくて良くなる。仕事の事を考えて頑張れば、信頼もされる。昇給もする。楽しくなる。
けれど、学校も家も恋も、違った。
頑張ったからと言って、何が評価されるのだろう?
勉強は頑張った分だけ成果が表れるだろうが、他の事は何が評価されるのだろうか。
……もう何も分からないし、分からなくてもいいと思った。
私は膝に顔を埋めて、深い深い溜息をついた。
扇風機の音が嫌に響く。
それに加え向こうの部屋から妹達の騒がしい声が聞こえる。煩いと発したくなる気持ちを抑えて、考える事は、面倒に思いながらもやはり優人の事だけだった。
自分の事が嫌いなら、そう言えばいい。もうメールしないでと言えばいい。言えないのなら、返事なんて返さなければいい。
そんな風に負の感情が渦巻いてしまう。
こんな自分は嫌いだと思うのに、どうしてもそれが止められない。
でも、それでも大切で大好きな人。そんな人であって欲しくないし、そんな事をして欲しくない。
――だったら。
だったら、きちんと告白をして、思い切り振られてしまえばいい。そうしたら、諦められるかも知れないし、前に進めるかも知れない。
以前一度告白をした時は、返事は要らないと言って、相手の気持ちをきちんと聞かなかった。曖昧な関係で辛くなるのなら、振られてもはっきりとした返事を貰う方がいいに決まっている。
きちんと告白をしよう。そしてきちんと返事を貰おう。
私は決心し顔を上げ、テーブルに置いていた携帯電話を手に取ると、優人宛てにメールを作成し始めた。
回りくどい言い方も、今は必要ない。はっきりと想いを告げればいい。
そう、決心して。
私は優人にメールを送信した。
<優人が好きです。優人の彼女になりたいです。はっきりと返事を下さい>
こう、書いて。
唐突過ぎるだろうか……でももう、何でもいい。
振られると分かっている告白。
それをするのはどれだけ勇気の要る事で、どれだけ悲しい事だろうか。
だけど、今はきっとこれだけが、自分の心を救う術なのだろう。
私は、くの字に曲げた携帯電話をテーブルに置いたまま、その画面をぼーっと見つめていた。
この表情は、歓喜でもなければ悲哀でもない、不思議な表情。だって、何とも言えない。
こんな表情にさせたのは、たった今優人から届いたメールだった。
<今は彼女作ろうと思えなくて>
ドキドキしながら開いたメールには、たった一言そう書かれていた。
ショックと言えば当然ショックだ。誰がどう見てもこの返答は“振られている”のだから。
けれど、はっきりと返事が欲しいと私は告げたのに。それこそもうはっきりと。それにも関わらず曖昧な返事と来た。自分の事を一体どう想っているのか、そういった一番大事な答えをくれないのだ。
……正直、「嫌い」とか「普通」とか、そんな答えが返って来なくて安堵感を抱いている自分もいるのだけれど。
私の事をどう想ってるのか教えて! と、そんな事言えない自分が一番情けない。
これ以上想っていて、希望はあるのだろうか。今“は”、って事は、これから先の未来では分からないって事なのだろうか。
ゆっくりと携帯電話を握り、一度大きく深呼吸をすると、私は優人へのメールに返信をした。
<じゃあこれからもメールを続けたり、好きでいてもいいですか?>
駄目だ、なんて決して言う訳がないと分かっているけれども、これもある意味では大切な事だ。これがきちんと聞けるだけでも違う。
優人からまたメールが届く。こんな状態になってもすぐに返信をくれる事は、とても嬉しかった。
返事を見るのは、やはり緊張する。緊張しながらもやっとの想いで見た返事には、たった一言、
<はい>
そう、書かれていた。
意味が分からない。振っておいて好きでいてもいいなんて。
彼の対応に、少しばかり不満も溜まり始めていた。それらを全てぶつけて罵倒出来るのならば、どれだけ楽だったろう。
就寝の時間になり、辺りが静かになる。
私は暗い部屋の中、ベッドに仰向けに寝転び、ただひたすら考えた。
誰か、もういっその事、
「諦めろ」って。
「もう無理だ」って。
そう、言って。
そんな事を、願いそうになる。
けれど、もしもそう言われたとしても、自分はそんな事絶対に出来ない事を知っている。この想いが叶う保証なんてどこにもないのに、「好きでいたい」と願ってしまっている自分がここにいる事も。
だからこうして悩んで、疲れて泣きそうになっている。
目を、閉じた。
……私は、優人でない誰かと一緒に歩いている自分を想像した。
想像すればする程に、悲しみと愛しさが込みあがって来る。
優人以外の人と話して、メールして、一緒にいて。
……幸せなんかじゃない。
今のまま優人と一緒にいたって幸せじゃないのかも知れないけれど……それでも好きでいたい。それでも優人でなきゃ幸せじゃない。
そこまで考えて、目を開けた。
――分かったんだ。
こんなに辛くてこんなに悩んで。もう駄目かも知れないから、いっその事希望を完全に絶つ言葉が欲しいと思った、願った。
けれど、けれど、本当は。
……分かったんだ。
本当は、「諦めるな」って……そんな言葉を誰かに言って欲しいのだと。
何もかもが面倒だ。
そう思っていたのだけれど、たった一人の存在にここまで心を動かされてしまう自分が、たった一人の存在にここまで心を奪われてしまった自分が、一番面倒だ。
――諦めるな。
誰かに言って欲しいと願う言葉を、今は自分で自分に、心の中で呟いた。
目を閉じると、零れずにいた涙が、ポロッと音も立てず静かに零れ落ちた。
それが何よりも相手を傷付けてしまうのだろう。
それを知っていてくれたら……少しはこの心も、救われていたかも知れないのに。
*
暑くて暑くて、汗が滴る夏。七月も後半だ。
後半と言えば、夏休み。夏休みが始まって、けれどその殆どがバイトで埋められ、あまり自分の時間というものがなかった。
自分でそうしたのだから、それに文句なんてない。
朝から夕方、時に晩まで働いて、休みは週に一~二日。ハードかな、なんて思ったけれど、もう約一年も働けば慣れて来るし、寧ろ仕事は仕事と割り切ってそれだけに集中すればいいのだから、学校よりも家にいるよりも、仕事の方が居心地良く感じていた。
私は部屋で扇風機に当たりながら寛いで、そんな事をぼんやりと考えていた。
今日もバイトを終えて、寄り道もせずすぐに帰宅した。
「はぁ……」
溜息の数が多くなる、最近。……それはずっと前からか。
ベッドの横に座り込んで、背をそれに凭れながら、そんな事を思った。
もう何もかもが面倒で、仕事以外で外に出るのも億劫で。友達と会うのも何だか面倒に感じる最近。こうまでも心を、たった一人の人間によって変えられてしまうものなのだろうか。
優人とはメールをしない日々が続いている。
ただメールをしないだけなら何ともない。問題は、メールをした時の内容。
正直、優人からもう何も聞きたくない。話したいけれど、話したくない。あんな風に冷たくされてしまうのなら。メールをする度に落ち込んでしまうのなら、もうメールは送らない方がいい。
それが優人の為、そして自分の為。
自分の為でもあるのに、けれどこんな状況で元気でいられる筈がなくて。だから無理に元気に振舞わなければならなくなる友達といるのは、面倒に思うのだ。
そう、面倒なのだ。何より笑う事が。
もうそんな風にしか考えられなくなっていた。
「……はぁ……」
鬱陶しい程の、溜息。けれど一人の時にしかつけない溜息。
何もかもが、面倒になって。そしたら何もかもが、うまく行かない気がした。
その中で唯一うまく行っているものは、やっぱり仕事だった。今は仕事だけ頑張っている様なものだった。仕事はいい、仕事だから。それだけに集中して、何も考えなくて良くなる。仕事の事を考えて頑張れば、信頼もされる。昇給もする。楽しくなる。
けれど、学校も家も恋も、違った。
頑張ったからと言って、何が評価されるのだろう?
勉強は頑張った分だけ成果が表れるだろうが、他の事は何が評価されるのだろうか。
……もう何も分からないし、分からなくてもいいと思った。
私は膝に顔を埋めて、深い深い溜息をついた。
扇風機の音が嫌に響く。
それに加え向こうの部屋から妹達の騒がしい声が聞こえる。煩いと発したくなる気持ちを抑えて、考える事は、面倒に思いながらもやはり優人の事だけだった。
自分の事が嫌いなら、そう言えばいい。もうメールしないでと言えばいい。言えないのなら、返事なんて返さなければいい。
そんな風に負の感情が渦巻いてしまう。
こんな自分は嫌いだと思うのに、どうしてもそれが止められない。
でも、それでも大切で大好きな人。そんな人であって欲しくないし、そんな事をして欲しくない。
――だったら。
だったら、きちんと告白をして、思い切り振られてしまえばいい。そうしたら、諦められるかも知れないし、前に進めるかも知れない。
以前一度告白をした時は、返事は要らないと言って、相手の気持ちをきちんと聞かなかった。曖昧な関係で辛くなるのなら、振られてもはっきりとした返事を貰う方がいいに決まっている。
きちんと告白をしよう。そしてきちんと返事を貰おう。
私は決心し顔を上げ、テーブルに置いていた携帯電話を手に取ると、優人宛てにメールを作成し始めた。
回りくどい言い方も、今は必要ない。はっきりと想いを告げればいい。
そう、決心して。
私は優人にメールを送信した。
<優人が好きです。優人の彼女になりたいです。はっきりと返事を下さい>
こう、書いて。
唐突過ぎるだろうか……でももう、何でもいい。
振られると分かっている告白。
それをするのはどれだけ勇気の要る事で、どれだけ悲しい事だろうか。
だけど、今はきっとこれだけが、自分の心を救う術なのだろう。
私は、くの字に曲げた携帯電話をテーブルに置いたまま、その画面をぼーっと見つめていた。
この表情は、歓喜でもなければ悲哀でもない、不思議な表情。だって、何とも言えない。
こんな表情にさせたのは、たった今優人から届いたメールだった。
<今は彼女作ろうと思えなくて>
ドキドキしながら開いたメールには、たった一言そう書かれていた。
ショックと言えば当然ショックだ。誰がどう見てもこの返答は“振られている”のだから。
けれど、はっきりと返事が欲しいと私は告げたのに。それこそもうはっきりと。それにも関わらず曖昧な返事と来た。自分の事を一体どう想っているのか、そういった一番大事な答えをくれないのだ。
……正直、「嫌い」とか「普通」とか、そんな答えが返って来なくて安堵感を抱いている自分もいるのだけれど。
私の事をどう想ってるのか教えて! と、そんな事言えない自分が一番情けない。
これ以上想っていて、希望はあるのだろうか。今“は”、って事は、これから先の未来では分からないって事なのだろうか。
ゆっくりと携帯電話を握り、一度大きく深呼吸をすると、私は優人へのメールに返信をした。
<じゃあこれからもメールを続けたり、好きでいてもいいですか?>
駄目だ、なんて決して言う訳がないと分かっているけれども、これもある意味では大切な事だ。これがきちんと聞けるだけでも違う。
優人からまたメールが届く。こんな状態になってもすぐに返信をくれる事は、とても嬉しかった。
返事を見るのは、やはり緊張する。緊張しながらもやっとの想いで見た返事には、たった一言、
<はい>
そう、書かれていた。
意味が分からない。振っておいて好きでいてもいいなんて。
彼の対応に、少しばかり不満も溜まり始めていた。それらを全てぶつけて罵倒出来るのならば、どれだけ楽だったろう。
就寝の時間になり、辺りが静かになる。
私は暗い部屋の中、ベッドに仰向けに寝転び、ただひたすら考えた。
誰か、もういっその事、
「諦めろ」って。
「もう無理だ」って。
そう、言って。
そんな事を、願いそうになる。
けれど、もしもそう言われたとしても、自分はそんな事絶対に出来ない事を知っている。この想いが叶う保証なんてどこにもないのに、「好きでいたい」と願ってしまっている自分がここにいる事も。
だからこうして悩んで、疲れて泣きそうになっている。
目を、閉じた。
……私は、優人でない誰かと一緒に歩いている自分を想像した。
想像すればする程に、悲しみと愛しさが込みあがって来る。
優人以外の人と話して、メールして、一緒にいて。
……幸せなんかじゃない。
今のまま優人と一緒にいたって幸せじゃないのかも知れないけれど……それでも好きでいたい。それでも優人でなきゃ幸せじゃない。
そこまで考えて、目を開けた。
――分かったんだ。
こんなに辛くてこんなに悩んで。もう駄目かも知れないから、いっその事希望を完全に絶つ言葉が欲しいと思った、願った。
けれど、けれど、本当は。
……分かったんだ。
本当は、「諦めるな」って……そんな言葉を誰かに言って欲しいのだと。
何もかもが面倒だ。
そう思っていたのだけれど、たった一人の存在にここまで心を動かされてしまう自分が、たった一人の存在にここまで心を奪われてしまった自分が、一番面倒だ。
――諦めるな。
誰かに言って欲しいと願う言葉を、今は自分で自分に、心の中で呟いた。
目を閉じると、零れずにいた涙が、ポロッと音も立てず静かに零れ落ちた。