真実の永眠
32話 霧中
「おー、いらっしゃい」
 そう言って笑顔で玄関扉を開けて迎えてくれたのは、麻衣ちゃん彼・中本裕也(なかもとゆうや)さんだ。
「お邪魔しまーす」
「お、お邪魔します……」
 ここには何度も来ているのだろう。麻衣ちゃんは靴を脱いでそれを適当な場所に置くと、スタスタと上がって行く。
「……」
 玄関の酷い有様に、私は言葉を失った。













 私達は今、中本さんの部屋にいる。こうなる予定と聞かされていなかった私は、ただただ動揺と困惑の表情を浮かべていた。
 私達は、中本さんのベッドに座っている。主である中本さんも、自分のベッドに寝転がって寛いでいる。
 麻衣ちゃん達は二人で話をしていて、時々話を振られて私もそれに加わるものの、居心地悪い事この上ない。
 騒がしい声が上がる。やたら煩いテレビの音量。
 どうしてこんな所に、来てしまったのだろうか。
 私達三人だけなら、それでもまだマシだったのだろうが、中本さんの部屋には、他にも彼の友達が何人もいて、麻雀をしたりゲームをしたりして遊んでいる。
 騒がしい声が上がる。やたら煩いテレビの音量。
 本当に、居心地悪い事この上ない。
 一人取り残されている感はないものの、それでもこんな状況に自分はそぐわない気がして、この短時間に何度、「帰る」と言い出そうとした事か――。



 元々今日は、麻衣ちゃんと二人で会う為に来たのだ。
 昨日、麻衣ちゃんから「遊びに行こう!」と誘われて、予定は何もなかったので快く承諾した。
 場所は市内、時間は十三時、待ち合わせはいつもと同様、K駅に。
 そして翌日の今日、約束通り、予定通りに事は運んだのだが。
 十五時半を過ぎた頃、麻衣ちゃんが突然、
「これから彼氏ん家に行こうと思うんだけど、雪音ちゃんも一緒に行かない?」
 その一言から、訳も分からぬまま何故かここへ一緒に来る事になってしまった。
 三人だけなら、自分はお邪魔でないだろうかと心配するだけで済んだかも知れないが、まさかこんなにも人がいるなんて思いもしなかった。
 玄関に散乱している靴を見た瞬間に、来なければ良かったと本気で後悔したのは、口が裂けても言えない事実。
 足の踏み場もないくらいに沢山の男物の靴が散らばっていて、脱いだ靴の置き場もなかった。それを理由に(どんな理由だ)帰ると言い出したかったけれど、私の落ち着かない様子は、“靴の置き場がなくて困っている”と中本さんに解釈されてしまったらしい。
「靴は適当に置いといたらいいよ」
「あ……はい」
 中本さんに、爽やかに言われてしまった。
 結局隅の方に隙間を作ってちょこんと置くと、麻衣ちゃん達に促されるまま、私は階段を上がって行った。



 ――そういった経緯で、私達は現在、中本さんの部屋にいるのだ。
 私は溜息をつきたくなった。
 この一室に、麻雀をしている人が四人、それを囲って眺めている人が三人、テレビゲームをしている人が二人、そして――私と麻衣ちゃんと中本さん。
 六畳程の部屋に、十二人って……。
 しかも女子は二人しかいないから、中本さんがいると知っていても何かが不安だ。
 困惑した表情で部屋を眺めていると、目の前でテレビゲームをしていた男子が手を止めて振り返り、突然声を掛けて来た。
「――優人とメールしてる子だよね?」
 私は突然の質問に驚いて困惑してしまった。
 近くにいた麻衣ちゃんと中本さんも、こちらを見る。
「え、あっ、はい」
 初対面の筈。どうして私の事を知っているんだろう?
 そんな怪訝な表情をしていると、
「そういえばこいつ、俺が雪音ちゃんを知る前から雪音ちゃんの事知ってたみたいだよ」
 中本さんがその男子を指しながら、そう言った。
「え? ……どうして……」
 中本さんに向けた視線を、今度は問い掛けるようにその男子に向けた。
「ああ、優人からずっと聞いてたから」
 その男子はさらりとそんな事を言ってのけた。
「え? それって……」
 どういう、意味……? 浮かんだ疑問を心の中で呟くと、突然興奮した麻衣ちゃんが顔を向けてきたので、私は驚いてそちらを向いた。
「それってさ、桜井さん、雪音ちゃんの事話してたって事だよ!」
「いや、まぁ、話してたっていうか、二人よくバレーの試合観に来てたじゃん? その時に『俺、あの子とメールしてる』って、優人が雪音さんを教えてくれて。因みに俺もバレー部員だった」
 麻衣ちゃんの言葉を訂正するかのように、その男子は言った。
「ああ、なるほど。お前と優人、バレー部員の中で一番仲良かったもんな」
 話を聞いていた中本さんが、納得したように言った。
「それって……、うちらが観戦してた事、桜井さんちゃんと気付いてたって事じゃん。ちゃんと雪音ちゃんの事見てたって事じゃん!」
「……嬉しい……」
 その事実を聞いて、たまらなく嬉しくなった。
 観戦に行く時はいつも伝えてあったから、来ている事は知ってくれていたのだろうけれど、ちゃんと自分を見付けてくれているなんて思いもしなかったから、今更な事だけれど、とても嬉しかった。
「ねぇねぇ、桜井さんの映ってる写真とか持ってないの? ケータイで撮影した画像でもいいからさ」
 麻衣ちゃんが中本さんの方へ振り返り、そう尋ねる。
 私は期待の眼差しでそちらを見た。
「いや~、俺は持ってないなぁ。あいつ撮ろうとすると逃げるし」
「あ、俺持ってるよ」
「マジか!?」
 さっきの男子が持っているようだ。
 ポケットから携帯電話を取り出し、「俺も一枚だけだけどな」なんて言いながら画像を探している。
「それ、雪音ちゃんにあげれば?」
「ああ、いいよ」
 中本さんもその男子がまさか持っているとは思っていなかったのか驚いた声を上げたが、私にあげるようにと言ってくれた。
 今この場に優人がいない事をいい事に、その男子から中本さんへ、中本さんから麻衣ちゃんへ、麻衣ちゃんから私へと、その画像は渡って行った。優人からしてみれば、なんて迷惑極まりない事だろうか。
「お前、優人には言うなよ」
「おう」
 そんな男子のやり取りを遠くに聞きながら、私は貰った画像を暫く見つめていた。それは間違いなく、優人で。
 嬉しかった。
 優人に会える事なんて滅多にないから、こうして画像で見られる事すらもとても幸せな事だった。



 画像をくれた男子は、再びテレビゲームをやり始めた。
 先程から騒がしい、ジャラジャラと音を立てる麻雀は、未だに終わりそうな気配はない。
 私と麻衣ちゃんと中本さんで、優人の話をしていた。
 優人の昔付き合っていた彼女(優人を好きになった当時付き合っていた彼女)の話や、最近の優人の様子を、私は興味津々に聞いていた。
「なぁ、優人ってさー、今女の影ある?」
 突然中本さんが、部屋全体に行き渡る声で、ここにいる全員に問い掛けた。
「あー? 桜井?」
 すると、麻雀をしていた男子達が、手は止めなかったものの、彼の質問に口々に答えた。
「あいつ女の影全然なくね? まず女子と殆ど話さねーし」
「いや、俺あんまあいつとは関わってねーからなー。分からんわー」
「そもそもあいつ女の話全然しねーよ」
「女の話どころか、自分の事も滅多に話さねーし」
「あー、だな」
 男子達から次々に飛び出す言葉を聞く度に、私は表情を曇らせた。複雑な、気持ちだった。
「お前ら役に立たねーなー。何でもいいから雪音ちゃんに情報あげて!」
 中本さんの協力的な姿勢が、切ない程にありがたかった。ここにいる全員に私の気持ちをバラしたという事実は、この際目を瞑ろう。
「そー言われてもなー。あいつに関しては知らない事の方が多いぞ」
「確かに」
 手元から視線を上げる事なく、男子達は言う。
 ジャラジャラと喧しい音を立てながら、麻雀は続いて行く。
 誰も優人に関して知らないのか……。
 今まで彼らの中に飛び交った言葉達に、私は喜んでいいのかどうか複雑だった。ただ、素直に喜べない、これだけは確かだった。




「てか桜井って、――謎じゃね?」




「――……」
 特別大きな声でもないのに、その声だけ一際大きく聞こえたのは、きっと気のせいだ。麻雀のジャラジャラとした音が、一瞬止んだと思ったのも、きっと気のせい。
「ああ、謎だな」
「あいつだけはわっかんねー」
 誰かの、同意する声。
 テレビゲームをしながら、「うわー」と悔しがる声。
 止んだと思った音が、再び戻って来るような気がした。
「……やっぱり桜井さんって、自分の事話さないんだね」
 麻衣ちゃんが声を掛けて来た。
「……うん」
 笑う事も出来ず、そんな簡単な返事しか出来なかった。







 中本さんの家から出た頃には、外はすっかり暗くなっていて、この季節、着込んでいても身体を冷やした。
 私は暗い夜空を見上げた。雪の匂いを感じる。降るかも知れない。
 私達は、汽車に乗って、帰路につく。揺られる汽車の中で、今日の事、優人の事に、思考を巡らせる。
 今日はあの場に優人がいなくて、色んな意味で良かったと思った。まぁ、優人がいたら優人の話などしないだろうが。
 ――桜井って、謎じゃね?
 その言葉が嫌に耳についたのは、何故だろう。
 昔からそうだ。優人の感情を知ろうと思えば思う程、最終的にその言葉に辿り着く。みんなが優人を語る時、最後は決まってその言葉で片付いてしまう。
 どうして、優人は……どうして――……。
 優人はそういう人、なんだ。独りきりで何もかもを背負ってしまう性格だからこそ、何とかしたいと何度も願った。
 私は思った。きっと、今日あの場にいた誰よりも、自分が一番優人を知っている、と。好きだからこそ見えない事は、きっと沢山あるけれど、誰より好きだからこそ、見えない事を知りたくなる。知りたくなるから知る事が沢山あって、だからこそ自分が、誰よりもその人を知っているんだ。
 誰よりも優人を、見て来たんだ――。
 雪の匂いを感じる、そう思っていたら、やっぱり降った。外が真っ暗だから、汽車の中からでは見え辛かったけれど、それでも見える。暗くなった街に、明かりが灯る。綺麗だ、そう思った。優人に会いたい、そうも思った。願った。
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