真実の永眠
36話 距離
「外真っ暗だね」
「あ、ほんとだ」
時刻は十八時半を回り、外はすっかり暗闇に包まれていた。
ベッド横の、カーテンが未だ開け放たれたままの窓から外を見た私は、小さく呟いた。それを耳にした麻衣ちゃんが、一緒に外を見ながら答えた。
「もうこんな時間か。優人、お前汽車の時間は大丈夫なのか?」
中本さんは伸びをし、大きなあくびをしながら優人に問い掛けた。
優人はポケットから携帯電話を取り出し、時間を確認する。
「あ、今出れば丁度いい時間に乗れる。――そろそろ帰るよ」
優人は、眼前に並べられた麻雀牌を崩し、それを中心に寄せるようにしながら片付けると、立ち上がりすぐに帰宅の準備に取り掛かった。
「優人帰るんだと。お前らはどうする?」
問われた麻衣ちゃんと、顔を見合わせた。
「もう暗いし、うちらも帰ろうか」
「そうだね」
私達も立ち上がり、帰り支度を整える。
「お前は?」
中本さんは、胡坐をかき後ろに手をついた姿勢でだらっとしている大石さんに、声を掛けた。
「俺は今いい時間の汽車がないから、もう少しいるわ」
「わかった」
大石さんはここに居座る事を告げると、またゲームをしようとテレビを点けてゲーム機の電源ボタンを押した。
「お前なぁ……」
呆れた様子の中本さんに、私と麻衣ちゃんは苦笑した。
「じゃあ俺、三人を駅まで送ってくから、お前待ってろよ」
「ああ」
中本さんが大石さんにそう言い残すと、私達は大石さんを一人残し、部屋を後にした。
外の冷気は、身体を芯から冷やすかのように私達を包む。暖かい部屋の中から急に外に出たものだから、余計にその寒さを感じるのかも知れない。
道路は雪解け水で湿っていて、歩道にはまだ完全に溶け切っていない雪が残っていた。
その雪をシャリシャリと踏みながら、私達は駅までの道を歩く。
私は前方を見つめ、溜息をついた。それが白くなって、消えて行く。
麻衣ちゃんと中本さんは、私が歩いている歩道とは反対側の歩道を一緒に歩いていた。
優人は、私と同じ歩道を歩いてはいるものの、歩くペースを速めて、私達から離れて歩いていた。
まるで自分を追い付かせないかのような、避けているかのような早足の優人に、私は心を痛める事しか出来なくなっていた。
「ゆーとー! もう少しゆっくり歩いてあげて!」
中本さんが私を気遣ってくれて、先を歩く優人に大きな声でそう呼び掛けるが、ほんの少しペースを落としただけで、それでもやはり、走らなければ追い付けない速さで歩いていた。
「……」
あんなに近くにいながら、言葉は何一つ交わす事はなく。
部屋に入って来た瞬間の、「お帰り」という自分の言葉に笑顔で頷いてくれたそれ以外に、目を合わせる事もなく。
無表情の横顔。
向けられた背中。
離れて行く、……背中。
隣を歩いた日を憶えているのは、それを忘れられないと想っているのは、自分だけなのだろうか。
どうして、近付いては離れて行ってしまうのだろうか。
悲しみに、揺らめく瞳。そこから、涙が零れ落ちそうになるけれど、泣いてはいけない、そう思い、ぐっと堪えた。
こんな自分に彼が気付く日など、絶対に来ない。今も、これから先も、ずっと。
気付いて欲しいとも思ってはいない。知ってくれたら嬉しいとは思うけれども。
知らなくていい。知らなくて、いいんだ。
私は白いマフラーで口元を隠すと、涙が零れそうでひくつく顔を、奥歯をぐっと噛み締める事で何とか堪えた。
中本さんの家から駅までは、然程遠くはない。寧ろ近い方だ。
あっという間に駅に到着し、中本さんは私達を見送ると、家までの道を引き返した。
この駅からT市まで行き、そこから乗り換えなければ帰れない。T市行きの汽車は、到着してからすぐにやって来た。
私達はそれに乗り込む。
T市までは十分程で着く為、私達は席には座らず、扉の近くに立っていた。
三人分離れた場所に優人は立っていたが、すぐにその場にしゃがみ込んだ。
「雪音ちゃん、桜井さんと話して来なよ」
「え……」
麻衣ちゃんが優人の様子を伺いながら、ボソッと耳打ちをしてきた。
「今日ずっと一緒にいたのにさ、二人全然話してないでしょ。うちはここにいるから、桜井さんの隣に行って話して来な」
「でも……、」
私は、優人に背を向ける形で立っており、彼の様子が分からない。振り向いて顔を見たかったけれど、それも出来なかった。
「市内に着いたら桜井さんとは別方向の汽車に乗らなきゃいけないんだよ? 話せるチャンスはもう今しか残ってないんだから、早く」
「……」
私は迷った。
話したいけれど、自分が彼の隣に行ってもいいのかさえも分からなくなっていた。
先刻の彼の行動を思い返すと、とてもじゃないが声を掛けられそうもない。自分を避けているのなら、声を掛ける事で彼の機嫌を損ねてしまうかも知れないし、もっと嫌われてしまうかも知れない。
「……」
ドクドクと、鼓動の音が聞こえる。
こうして迷っている間にも、時間は過ぎて行く。
ガタンゴトンと汽車は揺れて、確実に進んでいる事を告げている。
T市までは十分程しかないのだ。
時間はない。
今話さなければ、後悔するかも知れない。
――……行こう。
ギュッと拳を握って、覚悟を決めた。
「……ありがとう。行って来るね」
「うん、行って来な」
私は麻衣ちゃんの笑顔に見送られ(とは言え、優人までの距離は近いが)、優人の方へ勇気を出して振り返った。
しゃがんでいる優人まで二・三歩歩いて近付き、隣に立つ。
突然降り掛かった影を不審に思ったのか、優人が顔を上げた。
優人と目が合って、ドキリとした。緊張して怯みそうになるが、勇気を振り絞って声を掛けた。
「……隣、いい?」
「うん」
優人は無表情のまま、頷いた。
その表情に少しだけ寂しさを感じたが、お礼を言って、優人の隣に腰を下ろした。
「あ、濡れるよ」
お尻を地面に付けて座り込もうとした私に、優人が慌てて声を掛けた。
溶け掛けている雪道を歩いた人々の靴がきっと濡れていて、車内の地面も濡らしてしまっていたのだろう。そこに座り込んで私のスカートが汚れてはいけないと思ったのか、優人はすぐに教えてくれたのだ。
「あ、ありがとう」
私も優人と同じようにしゃがむだけにした。
「……」
「……」
隣に座ったものの、何を話したらいいのか分からなくて、初めは会話が出来なかった。
ここまで来たのだから何か話さなくてはいけないと思い、何か話題に出来ないものかと視線をキョロキョロさせた。そして、優人が持っていた自動車学校から配布された教科書などが入っているファイルに目が留まる。
「……免許、もうすぐ取れそう?」
反対側に向けていた顔を、こちらに向けた優人は、突然の質問に驚いた様子だったが、自分の手にあるファイルを見ると、「ああ」と納得したかのような表情になった。
「いや、まだ半分くらいかな。仮免もまだ取ってないし」
「そうなんだ」
「うん」
「……」
「……」
続かない会話。表情を変えない優人。
私の笑顔も、ぎこちないものになってしまう。笑えているのかさえも分からないし、もう笑っていないのかも知れない。
迫り来る時間。あと残り何分だろうか。
「……車、」
呟くと、優人がまた振り向く。無言で続きを促されて、私は続けた。
「何に乗るか決めてる?」
「いや、まだ決めてない」
「そっか」
「うん」
「……」
「……」
会話が続かなくて困り果てる。
この沈黙が気まずくて、しかし、早く到着して欲しいとも思えなくて。だからこそ余計に困惑したし、悲しくもなった。
汽車が揺れる。
私達が話している様子を、近くに立っていた女子中学生二人がチラチラと見てくる。麻衣ちゃんは携帯電話を片手に、こちらの様子を見守っていた。傍から見れば今の私達は、どんな光景なのだろう。
汽車が、揺れる。
時間は残り僅かだ。
「……」
「……」
「……免許、早く取れるといいね」
「うん」
「……」
「……」
汽車の揺れもスピードも、どんどん緩やかになる。もうまもなく到着する。
車内が少々ざわめいた。みんな降りる準備に取り掛かっているのだろう。
「着くよ」
そう言って、優人が徐に立ち上がったのを見て、返事を返さず私も立ち上がった。
汽車はとうとう停車し、プシューッと扉が開いた。
汽車を降りると、乗り換えの汽車は既に到着していて、降りてすぐにまた次のに乗らなくてはならない状況だった。
私達が優人にまたねと手を振ると、彼も手を軽く上げて、それに返してくれた。
優人と別れる事に寂しさを感じたけれど、これ以上一緒にいない方がいいとも思った。いてはいけないと思った。もう、無理だった。
今日は元々優人と会う予定ではなかった。思いがけずこうして出会ってしまったのには、何か意味があったのだろうか。
私達は、乗り換えの汽車に何とか乗り込むと、空いていた席に座った。
疲れていた身体を凭れ掛けて、それが何とも気持ちいいものだったから、私は目を閉じた。
そして考える、今日の出来事。
今日は、優人に会えて嬉しかったのか。
嬉しかった。でも、嬉しくもなかった。
会えるだけで幸せな筈なのに、どうしてこんな風に思ってしまうのだろう。欲深くなってしまったのだろうか……それなら、それはとても悲しい事だ。会えるだけで幸せだって、思えていたのに。
目を開けて、携帯電話をコートのポケットから取り出すと、優人にメールを送った。
<今日はありがとう、さっきは話せて嬉しかったです>
と。
優人からの返信は早かった。
今でもこうして返事をすぐにくれる事が、嬉しかった。
メールを開くとそこには、いえいえと、一言だけ書かれていた。絵文字が、一つ付けられて。
文面だけを見ると、先程までの優人の態度は考え過ぎなのかと思えてしまうが、やっぱり、どれだけ考えたって優人の思考など読める筈もなく。
自分の考え過ぎなのかも知れないし、考えた通りなのかも知れない。
ただただじっと流れて行く暗い街を眺めながら、今日の出来事を胸に刻み込んでいた。
「あ、ほんとだ」
時刻は十八時半を回り、外はすっかり暗闇に包まれていた。
ベッド横の、カーテンが未だ開け放たれたままの窓から外を見た私は、小さく呟いた。それを耳にした麻衣ちゃんが、一緒に外を見ながら答えた。
「もうこんな時間か。優人、お前汽車の時間は大丈夫なのか?」
中本さんは伸びをし、大きなあくびをしながら優人に問い掛けた。
優人はポケットから携帯電話を取り出し、時間を確認する。
「あ、今出れば丁度いい時間に乗れる。――そろそろ帰るよ」
優人は、眼前に並べられた麻雀牌を崩し、それを中心に寄せるようにしながら片付けると、立ち上がりすぐに帰宅の準備に取り掛かった。
「優人帰るんだと。お前らはどうする?」
問われた麻衣ちゃんと、顔を見合わせた。
「もう暗いし、うちらも帰ろうか」
「そうだね」
私達も立ち上がり、帰り支度を整える。
「お前は?」
中本さんは、胡坐をかき後ろに手をついた姿勢でだらっとしている大石さんに、声を掛けた。
「俺は今いい時間の汽車がないから、もう少しいるわ」
「わかった」
大石さんはここに居座る事を告げると、またゲームをしようとテレビを点けてゲーム機の電源ボタンを押した。
「お前なぁ……」
呆れた様子の中本さんに、私と麻衣ちゃんは苦笑した。
「じゃあ俺、三人を駅まで送ってくから、お前待ってろよ」
「ああ」
中本さんが大石さんにそう言い残すと、私達は大石さんを一人残し、部屋を後にした。
外の冷気は、身体を芯から冷やすかのように私達を包む。暖かい部屋の中から急に外に出たものだから、余計にその寒さを感じるのかも知れない。
道路は雪解け水で湿っていて、歩道にはまだ完全に溶け切っていない雪が残っていた。
その雪をシャリシャリと踏みながら、私達は駅までの道を歩く。
私は前方を見つめ、溜息をついた。それが白くなって、消えて行く。
麻衣ちゃんと中本さんは、私が歩いている歩道とは反対側の歩道を一緒に歩いていた。
優人は、私と同じ歩道を歩いてはいるものの、歩くペースを速めて、私達から離れて歩いていた。
まるで自分を追い付かせないかのような、避けているかのような早足の優人に、私は心を痛める事しか出来なくなっていた。
「ゆーとー! もう少しゆっくり歩いてあげて!」
中本さんが私を気遣ってくれて、先を歩く優人に大きな声でそう呼び掛けるが、ほんの少しペースを落としただけで、それでもやはり、走らなければ追い付けない速さで歩いていた。
「……」
あんなに近くにいながら、言葉は何一つ交わす事はなく。
部屋に入って来た瞬間の、「お帰り」という自分の言葉に笑顔で頷いてくれたそれ以外に、目を合わせる事もなく。
無表情の横顔。
向けられた背中。
離れて行く、……背中。
隣を歩いた日を憶えているのは、それを忘れられないと想っているのは、自分だけなのだろうか。
どうして、近付いては離れて行ってしまうのだろうか。
悲しみに、揺らめく瞳。そこから、涙が零れ落ちそうになるけれど、泣いてはいけない、そう思い、ぐっと堪えた。
こんな自分に彼が気付く日など、絶対に来ない。今も、これから先も、ずっと。
気付いて欲しいとも思ってはいない。知ってくれたら嬉しいとは思うけれども。
知らなくていい。知らなくて、いいんだ。
私は白いマフラーで口元を隠すと、涙が零れそうでひくつく顔を、奥歯をぐっと噛み締める事で何とか堪えた。
中本さんの家から駅までは、然程遠くはない。寧ろ近い方だ。
あっという間に駅に到着し、中本さんは私達を見送ると、家までの道を引き返した。
この駅からT市まで行き、そこから乗り換えなければ帰れない。T市行きの汽車は、到着してからすぐにやって来た。
私達はそれに乗り込む。
T市までは十分程で着く為、私達は席には座らず、扉の近くに立っていた。
三人分離れた場所に優人は立っていたが、すぐにその場にしゃがみ込んだ。
「雪音ちゃん、桜井さんと話して来なよ」
「え……」
麻衣ちゃんが優人の様子を伺いながら、ボソッと耳打ちをしてきた。
「今日ずっと一緒にいたのにさ、二人全然話してないでしょ。うちはここにいるから、桜井さんの隣に行って話して来な」
「でも……、」
私は、優人に背を向ける形で立っており、彼の様子が分からない。振り向いて顔を見たかったけれど、それも出来なかった。
「市内に着いたら桜井さんとは別方向の汽車に乗らなきゃいけないんだよ? 話せるチャンスはもう今しか残ってないんだから、早く」
「……」
私は迷った。
話したいけれど、自分が彼の隣に行ってもいいのかさえも分からなくなっていた。
先刻の彼の行動を思い返すと、とてもじゃないが声を掛けられそうもない。自分を避けているのなら、声を掛ける事で彼の機嫌を損ねてしまうかも知れないし、もっと嫌われてしまうかも知れない。
「……」
ドクドクと、鼓動の音が聞こえる。
こうして迷っている間にも、時間は過ぎて行く。
ガタンゴトンと汽車は揺れて、確実に進んでいる事を告げている。
T市までは十分程しかないのだ。
時間はない。
今話さなければ、後悔するかも知れない。
――……行こう。
ギュッと拳を握って、覚悟を決めた。
「……ありがとう。行って来るね」
「うん、行って来な」
私は麻衣ちゃんの笑顔に見送られ(とは言え、優人までの距離は近いが)、優人の方へ勇気を出して振り返った。
しゃがんでいる優人まで二・三歩歩いて近付き、隣に立つ。
突然降り掛かった影を不審に思ったのか、優人が顔を上げた。
優人と目が合って、ドキリとした。緊張して怯みそうになるが、勇気を振り絞って声を掛けた。
「……隣、いい?」
「うん」
優人は無表情のまま、頷いた。
その表情に少しだけ寂しさを感じたが、お礼を言って、優人の隣に腰を下ろした。
「あ、濡れるよ」
お尻を地面に付けて座り込もうとした私に、優人が慌てて声を掛けた。
溶け掛けている雪道を歩いた人々の靴がきっと濡れていて、車内の地面も濡らしてしまっていたのだろう。そこに座り込んで私のスカートが汚れてはいけないと思ったのか、優人はすぐに教えてくれたのだ。
「あ、ありがとう」
私も優人と同じようにしゃがむだけにした。
「……」
「……」
隣に座ったものの、何を話したらいいのか分からなくて、初めは会話が出来なかった。
ここまで来たのだから何か話さなくてはいけないと思い、何か話題に出来ないものかと視線をキョロキョロさせた。そして、優人が持っていた自動車学校から配布された教科書などが入っているファイルに目が留まる。
「……免許、もうすぐ取れそう?」
反対側に向けていた顔を、こちらに向けた優人は、突然の質問に驚いた様子だったが、自分の手にあるファイルを見ると、「ああ」と納得したかのような表情になった。
「いや、まだ半分くらいかな。仮免もまだ取ってないし」
「そうなんだ」
「うん」
「……」
「……」
続かない会話。表情を変えない優人。
私の笑顔も、ぎこちないものになってしまう。笑えているのかさえも分からないし、もう笑っていないのかも知れない。
迫り来る時間。あと残り何分だろうか。
「……車、」
呟くと、優人がまた振り向く。無言で続きを促されて、私は続けた。
「何に乗るか決めてる?」
「いや、まだ決めてない」
「そっか」
「うん」
「……」
「……」
会話が続かなくて困り果てる。
この沈黙が気まずくて、しかし、早く到着して欲しいとも思えなくて。だからこそ余計に困惑したし、悲しくもなった。
汽車が揺れる。
私達が話している様子を、近くに立っていた女子中学生二人がチラチラと見てくる。麻衣ちゃんは携帯電話を片手に、こちらの様子を見守っていた。傍から見れば今の私達は、どんな光景なのだろう。
汽車が、揺れる。
時間は残り僅かだ。
「……」
「……」
「……免許、早く取れるといいね」
「うん」
「……」
「……」
汽車の揺れもスピードも、どんどん緩やかになる。もうまもなく到着する。
車内が少々ざわめいた。みんな降りる準備に取り掛かっているのだろう。
「着くよ」
そう言って、優人が徐に立ち上がったのを見て、返事を返さず私も立ち上がった。
汽車はとうとう停車し、プシューッと扉が開いた。
汽車を降りると、乗り換えの汽車は既に到着していて、降りてすぐにまた次のに乗らなくてはならない状況だった。
私達が優人にまたねと手を振ると、彼も手を軽く上げて、それに返してくれた。
優人と別れる事に寂しさを感じたけれど、これ以上一緒にいない方がいいとも思った。いてはいけないと思った。もう、無理だった。
今日は元々優人と会う予定ではなかった。思いがけずこうして出会ってしまったのには、何か意味があったのだろうか。
私達は、乗り換えの汽車に何とか乗り込むと、空いていた席に座った。
疲れていた身体を凭れ掛けて、それが何とも気持ちいいものだったから、私は目を閉じた。
そして考える、今日の出来事。
今日は、優人に会えて嬉しかったのか。
嬉しかった。でも、嬉しくもなかった。
会えるだけで幸せな筈なのに、どうしてこんな風に思ってしまうのだろう。欲深くなってしまったのだろうか……それなら、それはとても悲しい事だ。会えるだけで幸せだって、思えていたのに。
目を開けて、携帯電話をコートのポケットから取り出すと、優人にメールを送った。
<今日はありがとう、さっきは話せて嬉しかったです>
と。
優人からの返信は早かった。
今でもこうして返事をすぐにくれる事が、嬉しかった。
メールを開くとそこには、いえいえと、一言だけ書かれていた。絵文字が、一つ付けられて。
文面だけを見ると、先程までの優人の態度は考え過ぎなのかと思えてしまうが、やっぱり、どれだけ考えたって優人の思考など読める筈もなく。
自分の考え過ぎなのかも知れないし、考えた通りなのかも知れない。
ただただじっと流れて行く暗い街を眺めながら、今日の出来事を胸に刻み込んでいた。