真実の永眠
37話 各々
 三月に突入してから、時間の経過はとても早いものだった。
 私達は皆、高校を卒業し、それぞれ自分の進路に向けての準備に取り掛かっていた。
 私はアルバイトをしていたケーキ屋で、これまでの予定通り、そのまま就職する事に決まった。
 麻衣ちゃんは、県内の看護学校に通う事になり、中本さん、そして優人は、短期大学に合格し、その準備に取り掛かっているのだそうだ。
 優人は一人暮らしを始める為、引越しの準備など多忙な日々を送っているだろう。
 アルバイトも、ギリギリまで続けるのだそうだ。
 もう三月。それももうすぐ終わる。
 私は、ここに来て酷く気持ちが揺らいでいた。




 二月十四日の、バレンタインデー。
 その日、やはり優人には会えなかったけれど、あの日の約束通り、麻衣ちゃん達の協力のお陰で、二十一日の登校日に贈り物は無事優人に渡った。
 私はあの日――中本さんの部屋で優人に会った日から、その登校日までずっと優人に連絡を取らなかった。
 話し辛くなってしまった事も理由の一つだったのだが、登校日、もしも本当に中本さんに託したバレンタインデーの贈り物を優人が受け取ってくれたのなら、何らかの連絡が彼から入るかも知れない、と期待したからだ。
 麻衣ちゃん達は、きっと私の気持ちを優人に届けてくれるだろう。
 それを信じて疑わなかったから、それを受け取る優人は、自分からでも何か言葉をくれるかも知れない。そう思った。
 だから、自分からは一切連絡を取らなかった。
 そして、登校日。
 その日はとにかく一日中緊張していた。
 信じて疑わない筈なのに、優人に届いただろうか。中本さんは渡す事を忘れていないだろうか。そう不安になって、何度渡ったかどうかを尋ねようとした事か。
 そして、優人はそれを、受け取ってくれるだろうか――……。
 その不安が一番大きかった。
 その日仕事を終えると、すぐに携帯電話でメールの確認をした。が、その時はまだ何の連絡も入っていなかった。
 家に到着して数分経った頃に、メールが届いた。
 優人、からの。


<今日裕也から貰ったから。ありがとうなぁ>


 優人から送られたこのメールに、どれだけの嬉しさと愛しさが込み上げてきた事だろう。
 お礼を言われたとしても、「ありがとう」の一言だけだと思っていたから、この文章に感激するくらいに嬉しかった。
 細かい事だが、ただの「ありがとう」より、語尾に「なぁ」と付けられているだけで、何となく柔らかく優しい雰囲気になるような気が、私にはしたのだ。
 けれど、これで私達の関係が良くなった訳ではなかった。
 二月はまだ良かった。しかし、三月に入って学校も卒業して。
 これからはこれまでよりも、多くの自由を手にする事になる。その為、優人は少しずつ変わって行った。
 彼がアルバイトをしている店というのが、居酒屋だった。
 十八歳以上なのだから何も問題はないが、仕事と自由である事が重なって、彼は少しずつ移りゆく環境に染まり始めたのだ。仕事が終わって、それから夜遊びする事が増え、仕事柄の所為か、未成年であるにも関わらず、彼にお酒が回るようにもなった。
 遊んでいるのは男友達だけなのだと中本さんから聞いていたから、女性関係に悩む事はなかったが、優人の変わって行く様が、酷く悲しかったのだ。
 メールをして、彼から返事のない時など、これまで一度もなかったのに。
 送ったメールに返事が来る事が、極端に少なくなった。




 それからずっと悩んでいた。……優人の事を。
 日記帳に、想いを綴る。
 

 ――――――

 06.03.23(木)

 あれからずっと、落ち込んでいて。
 優人の事……。
 メールの返事も来ないし、もう本当に駄目かも知れないって、凄く思う。
 どうしたらいいのかもう全然分からなくて……ずっと信じていた優人の事も、少しずつ信じられなくなっていて……。
 もしもいつか、この恋に終わりがあるとするなら、今がその時なのかも知れない。
 どう頑張っても、自分を好きになって貰うのは無理かな、って……。
 嫌いになれたら、どれだけ楽だろう。それでもまだ、好きだと思うのは、意地なのかな……?
 揺らぐ気持ちも自分で分かっていて……私の事を好きになってくれる人は、世界中探せばいるんだろうけれど、でも……。
 どうしたらいいのかも全然分からないのに、唯一つハッキリ分かる事は……優人の傍が、幸せだという事。

 ――――――


 綴られた文字の所々が、涙で滲んでしまった。
 それを指先で辿る。
 たとえこれが乾いても、この跡は、この先ずっと残るのだろう。
 生涯、残るのだろう。
 


 私は日記帳を、ゆっくりと閉じた。
 私は本棚の奥にそれをそっと仕舞おうと、手を伸ばした。そしてこの気持ちも一緒に、そこに封印しようと思った。
 ――もう、忘れよう。
 忘れられなくても、頑張って忘れよう。
 けどどうして、そんな事に頑張らなくてはならないのか。想いを叶える為に頑張って来たのに、どうしたって忘れられないのに、どうして忘れる為に頑張らなくてはならないのだろう。
 ……それは、それ程までにこの想いは報われないからなのか。報われる兆しなど、欠片もないからだろうか。
 本当は忘れたくないのに、忘れなきゃいけない理由。
 それは酷く、辛いものだった。



 “唯一つハッキリ分かる事は……



 忘れよう。忘れるんだ。
 日記帳を仕舞おうと伸ばす手が、震える。



 ――優人の傍が、幸せだと言う事”



「……ッ……」
 先程日記帳に、確かな気持ちと本音を綴ったばかりなのに。
 忘れようとしたって、忘れられない事を一番知っているのは、自分の筈なのに。
 伸ばしていた手を下ろす。
「うぅ……うっ……」
 好きなんだ。たとえ彼が、変わってしまったとしても。
 この想いが報われないと知っていても、それでも好きでいたいのに、それすらも拒んでいるかのような現実が、辛い。どうしようもない現実が暗くて、この先の未来が怖い。
 それでも好きだから、忘れられないから、怖い。
 私は、日記帳を抱えたまま、静かに泣いた。
 この涙に、いつの日か、誰かが気付いてくれるといい。











 バタンと玄関扉が開く音に、私は目を醒ました。
 どうやらあのまま机に突っ伏して寝てしまっていたようだ。
 椅子から立ち上がると、小さなテーブルに置いていた立て鏡を覗き込み、泣いていた事がバレるような顔を自分がしていないかを確認した。
 泣いたのはほんの数分だった為、目は腫れていなかったし、寝ていたから適当に誤魔化せるだろう。
 家の中が騒がしくなったので、さっきの玄関扉が開く音は誰かが帰って来たのだと知れた。
 私は部屋から出ると、みんなのいる部屋へと移動した。
「あ、お兄ちゃん」
 部屋の戸を開けると、そこには、いつもふらっと家を出て、ふらっと帰って来るのを繰り返している兄がいた。
 元々家には、妹二人と、母がいて。
 そこに兄が加わって、楽しそうに話をしていた。
「おー。ただいま」
 私に気付き、兄が挨拶してきたから、「うん」と適当に返事をしておいた。
「お兄ちゃん、今までどこ行ってたの?」
 四人の傍に座りながら、兄に尋ねると、
「友達の家。そこに一緒に住まわせて貰って、そこから通勤してた」
 と言った。
 いつもの事だと受け止めているのか、みんな「ふーん」と返すだけだった。
「てか母さんに話あるんだけど、」
 兄は胡坐をかきながらそう言った。
「なに?」
「……俺、彼女と同棲しようと思ってるんだ。今すぐって訳じゃないけど、」
「あ、そうなの。好きにしなさいな、もう成人もしてる事だし」
 母は兄の言葉に、軽く返す。
「でも彼女は、こっちの人じゃなくて元々は県外の人なんだよ。だから、彼女の地元で暮らすか、俺の地元で暮らすかを今話し合ってるとこで。――おい、雪音」
 ふんふんと頷きながら適当に話を聞いていた私は、兄に呼ばれた。
「なに?」
「もし彼女の地元で暮らす事になったら、県外に行く事になるだろ? だからお前も一緒に来てみないかって思ってるんだが。お前も来年は二十歳になるし、このままずっと田舎にいても面白くないだろ? 社会勉強や都会の楽しみみたいなもんを知ってみてもいいと思うし」
「……」
 兄の提案に、私は迷った。
 行ってみたいと思うけれど、これから折角優人と住む距離が近くなるのに、自分が県外に行ってしまったら、それこそもう、どうしたって叶う事などないのではないか……。
 現時点で、叶う確立は限りなくゼロに近いのだけれど。
 しかし、それならば余計に、行ってしまった方がいいのかも知れない。
 叶わないのなら――……。
「俺と彼女とお前の三人で住むのが気まずいなら、夕海も一緒に来たらいいし」
「あたしも!?」
 夕海は驚いて声を上げた。
「広い家なら、四人でも問題ないだろ」
 私と夕海とで顔を見合わせ、苦笑した。
 夕海は今年十六歳になり、四月から高校生! ……の筈だったのだけれど、高校には行かず、社会に出る事を選んだのだ。だから県外に行こうと思えば簡単に行ける。
「……どうする?」
「……どうしよう」
 尋ねると、夕海は苦笑交じりに、けれど困惑したように呟いた。
「――まぁでも、まだ確定じゃないからな。こういう話があったってだけ憶えとけよ」
 兄はそう言って立ち上がると、「じゃあまたちょっと出て来るから」と言って、どこかに行ってしまった。
「……二人共どうするの?」
「……」
「……」
 兄が去った後母にそう尋ねられたが、私達はすぐに答えが出せそうもなかった。
 それぞれ歩いて行く道は、これからどうなって行くのだろう――。
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