真実の永眠
41話 約束
[片想いのあなた。今日は嬉しさに悲鳴があがる、そんな出来事が起こるかも]
 十二月某日。今日の恋愛運。
 こんな言葉、特に信じてはいなかった。
 本当になったらいいな、って。
 この時はただ、それだけ。







 新しい地で、初めての冬を迎える。
 私は、雪のない真っ暗な景色を、部屋の窓から見下ろしていた。
 ここは地元と比べ、あまり雪が降らない。それが少しだけ寂しかった。
 勇気を出して優人にメールを送ったあの日以来、とても幸せな日々を過ごしていた。
 彼とのメールも順調で、今までの素っ気ない文面が嘘のように、彼は色んな事を話してくれるようになった。……というより、昔に戻った、と言った方が正しいか。
 高校生の頃は、お互い夜は早めに就寝していたのだけれど、最近は二人共遅くまで起きていて、どちらかが寝るまでメールのやり取りをしている。優人の使用する絵文字の表情まで変わったように思う。彼には珍しく長文(とはいえ、四~五行程度のもの)を打ってくる事もあり、自分とのメールを楽しんでくれているような気がして、本当に嬉しかった。
 ただ、いつもメールを送るのは自分からだった。それでも、嬉しい。メールも出来ない頃に比べたら。
「あ」
 流れるメロディ。
 私は顔に微笑を張り付かせ、音の発信源である携帯電話を手に取った。そして数刻前から続いている、優人からのメールを開く。
 時刻は十九時半。
 彼は今から夕飯を作る所なのだそうだ。
<自炊してるの?>
 私が尋ねると、
<うん、なるべく自分で作るようにはしてる。まぁ俺の作るものはほとんど創作料理だけど>
<へー凄いね。因みに今日のメニューは?>
<今日は焼うどんかなぁ。簡単だから(笑)>
 こんな風にメールが続く。最近の優人はよく文中に“笑”を付けてくれる。
 こんな些細な事が幸せだなんて、馬鹿げているだろうか。笑われるだろうか。
 それにしても、料理をしているだなんて凄いなぁ。私は今まであまり料理をした事がなかったから。最近はレシピ本を見ながら、たまに美姫さんに料理を教わりながら(美姫さんは、栄養士・調理士の資格保持者だ)作る事はあるけれど、創作料理などを作り出せる程、まだまだ料理をする事に慣れてはいなかった。
<焼うどんかぁ。美味しそうだね。作り方教えて貰ってもいい?>
 私は焼うどんの作り方を聞く事にした。優人がどんな風に作っているのか気になったから。
<いいよ。適当にキャベツ、玉葱、人参とか、自分の好きな野菜を炒めたら、ほぐした麺を入れて混ぜながら炒める。塩こしょうを適当に入れて、最後は醤油かソースで適当に味付け。で、完成>
 適当が多いな……。丁寧なのか大雑把なのか微妙な教え方ではあったが、自分にも簡単に作れるという事は分かった。
<ありがとう。今日はもうご飯食べ終わってるから、明日早速作ってみるね>
<どういたしまして。簡単に作れるし安く済むよ>
 優人からのメールに、私はずっと顔が綻びっぱなしだった。
 実はどこにでもあるような焼うどんだと分かっていたけれど、優人から教わったのだという事がたまらなく嬉しかった。




 時刻は二十一時を回った。
 優人とのメールのやり取りは、未だに続いている。
 これまで色んな話をした。
 あそこのイタリアンレストランは綺麗だった、とか。優人が入ったお店を教えてくれたりもした。そのとあるイタリアンレストランから、北に向かって車で五分程走ると私の実家があり、南に向かって車で五分程走ると優人の家があるのだそう。詳しい場所まではお互いに言わなかったけれど、結構近くに住んでいる事が判明した。
 凄く近くて驚いた。嬉しかった。
 ただ。
<じゃあ家近いね>
 優人からそうメールが送られてきた時、ズキっと心が痛んだ。
 罪悪感……? そんな筈はない。
 だけどどうしてか、何とも言えない負の感情に捉われた。
 ――……まだ。
 私はまだ優人に、広島に住んでいる事を話していない。
 別に、言わなくても問題ない。わざわざ言わなくてもいい事だ。だって、悲しいけれど、私達は何の関係にもなっていないから。言わなくてもいい。だけど本当はなぜか言えなかった。
 話して、優人が悲しむ筈はない。私の事など何とも思っていないのだから、特に何も思わないだろう。
 なのにどうして、言えないのだろう。自分でも分からない。


 広島に来た事を、私はすぐに後悔する事になる――……。


 私は、久し振りに優人と電話で話したいと考えていた。
 そして今の優人になら、それを言っても大丈夫ではないかと思った。文面に素っ気なさなど、微塵も感じない。寧ろ相手も楽しんでくれているようにすら感じられるから。
 話題も変えられるし、私は勇気を出して、優人に尋ねてみる事にした。
<優人にちょっとお願いがあるんだけど>
 すると、一分も経たず返事が来る。
<何!?>
 私はこれを見て、言っても大丈夫だと確信した。
 だって何だか……喜んでいる。私だから分かる。
<久し振りに優人と電話で話したいなって思ってるんだけど、大丈夫?>
 こう書いたメールを、優人宛てに送信した。
 大丈夫かも知れないと思っても、やはり少し緊張した。
 優人からの返信は早く、……私はそこに書かれている文面に、驚愕した。



<別にいいけど、なら暇な時にドライブでも行こう>



「……!」
 ドライブ……?
「ゆ、夕海……ちょっと、ちょっとこれ見て……」
 テレビを観ていた夕海がこちらを向くと、私は携帯電話の画面を夕海の眼前に翳した。
「……」
 夕海は、画面を覗き込みそれをまじまじと見つめた後、
「えっ……! 良かったじゃん!!」
 嬉しそうにそう言ってきた。
「うん……! どうしよう……嬉しい……」
 あまりの嬉しさに、じわりと涙が浮かぶ。
 私はそれを指先でささっと拭った。
 信じられなかった。優人から誘われるなんて。
 ……信じられなくて。
 今度は何だか、言いようのない不安に駆られた。文面を理解した直後の歓喜の表情は、どんどん不安な表情へと変化していく。
 冷静になって、優人はそういう事を言う人だったっけと思い直す。
 でもこの文面を見る限り、他の誰かが打ったものだとは考えにくい。……ちょっと気持ち悪がられてしまうかも知れないが、私は、優人が打ったものとそうでないものは、見分けられる。
 このメールの向こうにいるのは、確実に優人だ。でも優人が誘ってくるなんて……。
「……これ、送る相手間違ってないよね?」
 私は画面を見つめたまま、静かに夕海に問う。
「ちょっと見せて」
 言いながら夕海が携帯電話に向かって右手を差し出したから、私は夕海にそれを渡す。
「……間違ってないでしょ。件名が“Re:”になってるし、お姉ちゃんのメールにそのまま返信したんでしょ。……お姉ちゃんが送ったメールの内容とは話繋がってるの?」
 優人のメールをじっと見つめながら夕海はそう言うと、こちらに携帯電話を差し出す。私はそれを受け取った。
「……繋がってる。ただ、何でそうなるんだろうって」
「その前は何て送ったの?」
「電話で話したいな、って。その後こうしてお誘いの言葉があるなんて思わなかった。何でこう言ってきたんだろう……」
「電話よりも、直接会って話したかったんじゃない?」
「え……」
 私は夕海の言葉に少しだけ瞠目した。
 そんなの、おかしいよ……だってそれじゃあまるで……。
「……取り敢えず、早く返信してあげなきゃ」
 あらぬ方向を呆然とした面持ちで見つめていた私に、夕海はそう言ってきた。「うん」と一言だけ呟くと、私は平静を装って、話を続けた。
<ドライブに連れてってくれるの? 嬉しい!>
 優人からの返信は、またも早かった。
<よかった>
 え……? よかったって何? どういう、事……?
 私は彼の思考が全く読めず、困惑してばかりだった。




 それからもドライブの話題は続いて、彼は、今日でも行く? なんて言ってきた。
 突然のお誘いに困惑して、驚愕して、けれどやっぱり嬉しくて。嬉しいのに、また沈んで。
 優人はまだ、……知らない。
 私が広島に住んでいる事を。早くに言ってしまえば良かったんだ。なのに、言えなかった。
 ……県外なんかに、出るんじゃなかった。そうすれば今日、優人に会えていたというのに。
 私は折角のお誘いを断った。受ける事なんか、どうしたって出来ないから。
 今回の話がいつか叶えられるように、今日の事がなかった事にならないように、
<また今度暇な時にドライブに連れてって下さい>
 と、最後に送った。
 不意に、今日の恋愛運に書かれていた文章を思い出す。


[片想いのあなた。今日は嬉しさに悲鳴があがる、そんな出来事が起こるかも]
 

 真実を言えなかった、それ以外は、本当に素敵な事ばかりだった。













 数日経って、私は優人に、真実を伝えた。
 それ前後で、彼の対応が少しだけ変化したように思えたのは、気のせいだろうか。動揺、戸惑い、……どこか切なげな彼が、メールから伺えたような気がした。そんな反応を願う自分が作り出した幻想だろうか。
 そんな事は、ありえない筈なのに。
 私と夕海は、来週の二十~二十二日の三日間、帰省する事になっている。
 だから私は、その真実を伝えるのと同時に、先日優人から誘われたドライブを、帰省する日のどれかに連れてって貰えないかとお願いした。
 それに対し彼は、快く承諾してくれた。
 嬉しかった。また、会えるなんて。
 二十日の夜、私達は二人でドライブに行く約束をした。
 優人は今、K駅付近にある、とある居酒屋でアルバイトをしているのだそうだ。なので、ドライブはそのバイトが終わってからになるのだという。
 

 後四日で、約束の日がやって来る。
 辛かった日々からは想像も出来ない程の幸福が、私に訪れようとしている。
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