真実の永眠
46話 後悔
「――お前っ……、バカじゃないのか?!」


 頑張ったのに。泣いているのに。非情にも兄は、そんな言葉を私に浴びせた。
 非情なんかじゃないと、後に続く言葉で分かったけれど。









 泣きながら家へ帰ると、そこにいたみんなに心配された。
「……どうしたの?」
「何かあったのか?」
「……」
 言葉を発して心配そうな声を出す者、泣いている事に驚いてどう声を掛けたら良いのか迷い、黙る者、二通りの人間が家にはいたけれど、視線という視線は全て、私に向けられていた。
「……」
 黙ったまま居間の隅に座る。
 みんなが顔を見合わせているのが、俯いていても気配で分かる。
「……雪音……」
 沈黙を破って私の隣に腰を下ろしたのは母だった。
「……何かあったの……?」
「……」
 問われるけれど、私は沈黙したまま。
 何もないのに泣く訳ないだろう、と。捻くれた思考が巡る一方で、じゃあ何があったから泣いているんだ? とどこか冷静に考える自分がいる。
 どう言葉にすれば良いのか分からず、ただ沈黙を貫くと、母は小さく溜息をついた。
「――フラれたのか?」
 オブラートに包みもしない、ストレートな物言い。そんな言葉を紡いだのは兄だ。
 私はふるふると頭を横に振った後、小さな声で「……違う……」とだけ言った。
 一瞬で安堵感に包まれた空気。問う勇気が無かっただけで、皆兄と同じ事を思っていたのだろう。まぁある意味フラれたようなものだ、あながち間違いでもない。
「――じゃあどうしたんだよ」
 怒気は含まれていないが、どこか刺々しい。面倒な私にそろそろ苛立つ頃かもしれない。
「言いたくない事もあるよ……」
 それでも沈黙を続ける私を庇うように、美姫さんが兄に向かってそう言った。
 夕海や桃花は、ずっと黙ったまま。
 母は心配そうに私の顔を覗き込んだ後、「……何があったの……?」と、もう一度優しく尋ねてきた。
 私は数刻前の出来事を、たどたどしくではあったが詳しく話す事にした。



 ――――それで言われたのが、冒頭の兄の言葉だ。



 そんな風に言わなくても……そんな空気が流れる。
 私はただ、静かに涙を零した。
 バカな事は百も承知だ。わざわざ言わなくとも。やっぱり早く帰らなかったから、優人は面倒に思っていたのだ。
 ああ、それをここで今から兄に叱られるのか。
 けれど兄は、見当違いな事を言い出した。
「……お前、優人君に告白はしなかったのか?」
 蹲って隠していた顔を少し上げて、私はこくんと頷いた。
「手紙は? メッセージカードとか添えてないのか?」
 質問の意図が見えず訳が分からなくなると、何だか逆に涙が止まってきた。少しだけ冷静になる私の頭。
「……カードは添えたけど、告白の言葉なんか書いてないよ……元々告白はするつもりなかったし……」
「何で告白しないんだ!?」
 少しだけ声の音量が上がる。
「だって……、今までも何度か告白はしたし、バレンタインに渡すのももう三度目だし……。言葉じゃ言い表せない程の気持ちっていうか……言葉は必要ない気がしたし……、とにかく今年はチョコに全ての気持ちを託したの……」
 私の必死な言葉を、みんなは黙って聞いていた。
 私は言葉を続けた。
「それに……、本命チョコを渡す事って、結局告白と一緒じゃないかな……」
 この続けた言葉と、私のこの考えが悪かった。
 衝撃的な言葉を、兄は言った。



「――優人君は、お前からの告白を待ってたんじゃないのか……?」



「え……」
 信じられない言葉に、頭を鈍器でガンッと殴られたかのような衝撃が走る。涙が一気に止まる。濡れた頬が一瞬で乾いた気がした。
 渡すだけなのに、家に招いてくれた優人。殆ど話をしなかった事も、微笑んでくれているのに困った表情をしていた事も、友達からの連絡後、更に困った表情をした事も、全部全部、そういう事だって言うのだろうか……?
 私が告白出来る環境を作ってくれていた……? 早く言わないから、だからずっとあんな表情をしていたの……?
 私、私は……。――――でも。
「優人は……どうせフるのに告白なんて待ってたの……!?」
「何でフラれるって決め付けるんだ!!」
 苛立ちを見せるように声を上げた兄に、それでも私は怯む事なく言い返した。
「優人は私の事好きじゃないもん……!」
「どうせ振る告白を待つ訳ないだろ! 家に上げてそんな態度だったって事は、彼の中で何か覚悟を決めてたんじゃないのか? 彼の気持ちは彼本人にしか分からんけどな。……まぁ、告白を受け入れようとしていたのかは正直分からない。だけどそれは、受け入れようが受け入れまいが、どちらにせよ覚悟を決めた行動だったと思うぞ?」
「……」
 言葉が出ない。後悔が、押し寄せてくる。
 私達のやり取りを黙って聞いていた母が、口を開いた。
「……楓真の言う通りかもね。雪音はわざわざこっちに帰省してまで優人君に会いに行ってるんだから。この日の為だけに。単純に嬉しい気持ちもあるかも知れないけど、そこまでしてくれたら、彼だってきちんと考えなきゃって思うよ」
 どうして、気付かなかったんだろう。私はいつも、自分の事ばかりで……。
 殆ど話せなかった事を後悔して、優人につまらない思いもさせて、「早く帰れ」とまで思わせてしまったんだと思ってた。実際、そうかも知れない。兄の言っている事が間違いで、本当に優人は私の悩んだ通りの事を思ったかも知れない。
 でも――……。
 帰り際、車の窓を開けた時、一瞬優人が歩み寄ろうとしたように思えたあの行動。じっとこちらを見ていた瞳も。
 兄の言葉に納得せざるを得なくなる。
 私はなんて……なんて、バカなんだろう。単純で、愚かで。
「でも……もしそうなら、どうして優人からは何も言ってくれないのかな……」
「告白されてないのにいきなり「付き合おう」とも「ごめん」とも言えないだろ。その前にまず、相手の気持ちを再確認したいのが普通だ」
 呆れたと言わんばかりの表情で兄は言った。
「優人さんは自分の気持ちを見つけたのかな? まぁもし好きだと自覚したところで“今更”って思うんじゃない? それにかなり奥手な人だし」
 今まで黙っていた夕海も口を開く。
「今更、か……」
 今更でもいい。優人がいい。
「――ったく。お前ら何歳だよ……まぁ純粋っちゃ純粋だけどな」
 兄の一言に、私は苦笑した。少しずつ場が和む。呆れているけれど、どことなく優しさを感じる兄の口調。何だかんだ兄も優しい一面はある。いや、よく考えれば、意地悪な面の方が少ないか……。
 もう大丈夫、そんな事を思ったのか、母は立ち上がって再び夕食を作り始めた。それを見た美姫さんは、母の横に立ち夕食作りを手伝う。
 今晩の夕食は何だろう。いい香りが部屋中に漂う。
 兄は今すぐに何か食べたいのか、冷蔵庫を開けて何かないものかと探していた。
 夕海や桃花はテレビを見ている。
 私は――。
 ただ、思考する。
 涙は完全に止まっていて、頬を伝った涙も乾いている。
 兄の言葉、どこまでが正しいのかは、分からない。やはり兄だって憶測でしか言えないから。もしかしたら優人は、待っていたと言うより、私が告白をするかも知れないとは思っていたのかも知れない。けれども、優人の気持ちはもう彼本人にしか分からなくて。彼が何かを語らない限り、全てが謎に包まれていく。
 兄の言う通り、優人は私の告白を待ってくれていたのだろうか。伝えていれば、良かった……?
 そうすれば、何か変わっていたのだろうか。曖昧な関係に進展はあったのだろうか。
 誰にも聞こえないくらい小さく、溜息をついた。
 ……どれだけ考えたって、どれだけ後悔したって、私は「今年は告白しない」と決意して彼に会いに行ったんだ。だからもしも時間を戻せたって、何度戻ったって、私は結局告白をしなかっただろう。
 だから後悔しても仕方無いんだ。言わないと決意した以上、この現実に文句なんて言えない。
 言えないけれど……知りたい事は、沢山ある。
 私が帰った後、きっとあの友人達から質問攻めにあっただろう。
 ――さっきのは? 彼女?
 ――告られた?
 ――どういう子? 可愛い?
 揶揄しなくても、そんな疑問くらい近しい者ならば優人に投げ掛けるだろう。
 優人はどんな返事を彼等に返すのだろう。どんな風に私を見ているのだろう。どんな風に私の事を話すのだろう。
 知りたい事が、沢山ありすぎるのに、彼から聞ける言葉はほんの僅か。私の知りたい事など一つだって知る事は出来ないんだ。
 後悔と悲しみが押し寄せる。
 兄に言われて、伝えれば良かったのかと自分自身に問うけれど、やはり告白をしようとは思えなかった。
 きっと、もう遅い。
 全てが、謎に包まれていく。闇に、沈んでいく。



 ――絶望へのカウントダウンは、きっとここから、始まっていた。 
< 59 / 73 >

この作品をシェア

pagetop