真実の永眠
06話 名前
<名前は――――……です>
言葉にもならない、胸を熱くする程の幸せと。
言葉にもならない、胸を締め付ける程の悲しみと。
今は、今だけは。
前者の気持ちを、素直に感じていたいんです。
*
ガタンゴトン。
その音と共に身体に振動が走る。背凭れにしっかりと身体を預けて、今日の出来事をなぞって行く。
今日は酷く疲れたように思う。
――彼女がいてもいいなら、聞いてみるけど。
夕陽が沈んで行く、オレンジ色の空を窓から眺めながら、先刻聞いた言葉を反芻する。
予想通りだったとは言え、やはりその言葉に落胆の色は隠せなかった。
しかし、それよりも。
――彼と付き合ったのも、顔がいいからって。
膝の上に置かれた拳が震えた。
その事実を、彼は知っているのだろうか。T高校では有名な話と言っていたから、恐らく彼本人の耳にも、その情報は届いているだろう。知っているなら。知っていてそれでも彼女の事を想っているなら、彼は今、辛い状況であるに違いない。
それを想うと、先刻とは違った意味で、とても悲しくなった。
「菜々ちゃんからメール来た?」
彼氏にメールを送り終えたのであろう、一旦携帯電話を閉じて、麻衣ちゃんは尋ねて来た。
来たらすぐ分かるようにと、手に握っていた携帯電話を見て。
「……ううん」
小さく首を横に振った。
考えても悩んでも、彼を想っていても、何も分からない。
これからどうしたらいいのか、彼の事などまだ何も分からないのだから、今ごちゃごちゃ考えても意味がない。
今日は酷く疲れた。そして、眠い。
目的の駅に到着するまで、まだ時間はある。
そこまで思考し、少し寝ようと、ゆっくりと目を閉じた。
その時。
振動する、携帯電話。
携帯電話が、鳴っている。
マナーモードにしているから音は響いていないが、ただ振動しているだけの電話が、大きく響いているかのようだった。
すぐに、携帯電話を開く。それは菜々ちゃんからのメールだった。
麻衣ちゃんも気になるのか、開かれた私の電話を一瞥した後、じっと不安そうにこちらを見つめている。その姿を視界の隅に入れながら、メールを開いた。
<例の彼、メールOKだって! これがアドレスだから、雪ちゃんから送ってあげてね>
そんな文章と、その下に彼のアドレスが書かれていた。
嬉しくて、嬉しくて、嬉しくて。
言葉にならない幸せな気持ちが心の底から溢れ出て来て。携帯電話の画面を麻衣ちゃんの眼前に翳し、そのメールを見せた。
真剣な顔は一瞬で、麻衣ちゃんはすぐに破顔した。
「良かったじゃん!!」
「うん……! 本当に嬉しい……!」
先刻までの疲労と眠気、不安は何処へ飛んで行ったのか、そんな事はもうどうでも良くて。
ただ、ただ、彼との繋がりが何より嬉しくて、私達は互いに喜び合った。
菜々ちゃんに感謝の気持ちを綴ったメールを送信した後、早速彼にメールを送る事にした。
何と送ろうか、酷く緊張する。ずっと見ているだけだったあの彼と、ついにメールが出来るんだ。機械越しでも彼と話が出来るんだ。
ドキドキと高鳴る鼓動。嬉しさのあまり身体が慄く。
落ち着いて、冷静になって文を打とう。そう自分に言い聞かせて。
彼宛てに。
<初めまして。遠山雪音と言います。優勝、おめでとうございます。名前は何て言うんですか?>
送信ボタンを、押した。
夕陽が沈んだ、朱色の空。
綺麗だと、心から思った。
私達はまだ、汽車の中。窓から、ずっと景色を眺めて。
今の空もとても綺麗だけれど、やっぱり彼は、青い空。澄み切った、青い空のような人だと、私は思った。
「返事、来るといいね」
彼の事ばかり考えている私に、麻衣ちゃんはそう言った。
それに対し、私は返事の代わりに笑顔を向けた。
ヴー……っと、電話の振動する音が、私達の耳に届く。
麻衣ちゃんと、顔を見合わせた。
もしかして――――。
これが彼からである事を願い、緊張しながら電話を開いた。
このアドレスは……。
<ありがとうございます。名前は桜井優人です>
彼だ。彼からの返信だった。
嬉しくて、嬉しくて。涙が零れそうだった。
名前。
彼の名前。
「誰からだった? 例の彼?」
こちらの様子をずっと見ていた麻衣ちゃんが、口を開いた。
「うん。彼からだった……! 名前、桜井優人って言うんだって……」
彼からの返信が嬉しくて、声が震えそうになる。
「へぇ。桜井優人って言うんだ、何かそんな顔してる。良かったね、返事来て」
「うん! 凄く嬉しい……。何か顔と名前合ってるよね、優人って感じする」
「うんうん」
大きく頷く麻衣ちゃん。
彼の事は、やっぱりまだ、何も知らないのと一緒で。
けれど。
彼の名前も、アドレスも、意外に絵文字を使う事だって、知る事が出来たから……今はこの幸せを、素直に感じていようと思う。
彼の彼女の存在は、自分にとって悲しい事だけれど、何故だろうか。不思議と、嫉妬心も憎悪も、感じる事はなかった。
ただ、あんな彼女でも、申し訳無い気持ちが、どうしても拭えなかった。
言葉にもならない、胸を熱くする程の幸せと。
言葉にもならない、胸を締め付ける程の悲しみと。
今は、今だけは。
前者の気持ちを、素直に感じていたいんです。
*
ガタンゴトン。
その音と共に身体に振動が走る。背凭れにしっかりと身体を預けて、今日の出来事をなぞって行く。
今日は酷く疲れたように思う。
――彼女がいてもいいなら、聞いてみるけど。
夕陽が沈んで行く、オレンジ色の空を窓から眺めながら、先刻聞いた言葉を反芻する。
予想通りだったとは言え、やはりその言葉に落胆の色は隠せなかった。
しかし、それよりも。
――彼と付き合ったのも、顔がいいからって。
膝の上に置かれた拳が震えた。
その事実を、彼は知っているのだろうか。T高校では有名な話と言っていたから、恐らく彼本人の耳にも、その情報は届いているだろう。知っているなら。知っていてそれでも彼女の事を想っているなら、彼は今、辛い状況であるに違いない。
それを想うと、先刻とは違った意味で、とても悲しくなった。
「菜々ちゃんからメール来た?」
彼氏にメールを送り終えたのであろう、一旦携帯電話を閉じて、麻衣ちゃんは尋ねて来た。
来たらすぐ分かるようにと、手に握っていた携帯電話を見て。
「……ううん」
小さく首を横に振った。
考えても悩んでも、彼を想っていても、何も分からない。
これからどうしたらいいのか、彼の事などまだ何も分からないのだから、今ごちゃごちゃ考えても意味がない。
今日は酷く疲れた。そして、眠い。
目的の駅に到着するまで、まだ時間はある。
そこまで思考し、少し寝ようと、ゆっくりと目を閉じた。
その時。
振動する、携帯電話。
携帯電話が、鳴っている。
マナーモードにしているから音は響いていないが、ただ振動しているだけの電話が、大きく響いているかのようだった。
すぐに、携帯電話を開く。それは菜々ちゃんからのメールだった。
麻衣ちゃんも気になるのか、開かれた私の電話を一瞥した後、じっと不安そうにこちらを見つめている。その姿を視界の隅に入れながら、メールを開いた。
<例の彼、メールOKだって! これがアドレスだから、雪ちゃんから送ってあげてね>
そんな文章と、その下に彼のアドレスが書かれていた。
嬉しくて、嬉しくて、嬉しくて。
言葉にならない幸せな気持ちが心の底から溢れ出て来て。携帯電話の画面を麻衣ちゃんの眼前に翳し、そのメールを見せた。
真剣な顔は一瞬で、麻衣ちゃんはすぐに破顔した。
「良かったじゃん!!」
「うん……! 本当に嬉しい……!」
先刻までの疲労と眠気、不安は何処へ飛んで行ったのか、そんな事はもうどうでも良くて。
ただ、ただ、彼との繋がりが何より嬉しくて、私達は互いに喜び合った。
菜々ちゃんに感謝の気持ちを綴ったメールを送信した後、早速彼にメールを送る事にした。
何と送ろうか、酷く緊張する。ずっと見ているだけだったあの彼と、ついにメールが出来るんだ。機械越しでも彼と話が出来るんだ。
ドキドキと高鳴る鼓動。嬉しさのあまり身体が慄く。
落ち着いて、冷静になって文を打とう。そう自分に言い聞かせて。
彼宛てに。
<初めまして。遠山雪音と言います。優勝、おめでとうございます。名前は何て言うんですか?>
送信ボタンを、押した。
夕陽が沈んだ、朱色の空。
綺麗だと、心から思った。
私達はまだ、汽車の中。窓から、ずっと景色を眺めて。
今の空もとても綺麗だけれど、やっぱり彼は、青い空。澄み切った、青い空のような人だと、私は思った。
「返事、来るといいね」
彼の事ばかり考えている私に、麻衣ちゃんはそう言った。
それに対し、私は返事の代わりに笑顔を向けた。
ヴー……っと、電話の振動する音が、私達の耳に届く。
麻衣ちゃんと、顔を見合わせた。
もしかして――――。
これが彼からである事を願い、緊張しながら電話を開いた。
このアドレスは……。
<ありがとうございます。名前は桜井優人です>
彼だ。彼からの返信だった。
嬉しくて、嬉しくて。涙が零れそうだった。
名前。
彼の名前。
「誰からだった? 例の彼?」
こちらの様子をずっと見ていた麻衣ちゃんが、口を開いた。
「うん。彼からだった……! 名前、桜井優人って言うんだって……」
彼からの返信が嬉しくて、声が震えそうになる。
「へぇ。桜井優人って言うんだ、何かそんな顔してる。良かったね、返事来て」
「うん! 凄く嬉しい……。何か顔と名前合ってるよね、優人って感じする」
「うんうん」
大きく頷く麻衣ちゃん。
彼の事は、やっぱりまだ、何も知らないのと一緒で。
けれど。
彼の名前も、アドレスも、意外に絵文字を使う事だって、知る事が出来たから……今はこの幸せを、素直に感じていようと思う。
彼の彼女の存在は、自分にとって悲しい事だけれど、何故だろうか。不思議と、嫉妬心も憎悪も、感じる事はなかった。
ただ、あんな彼女でも、申し訳無い気持ちが、どうしても拭えなかった。