真実の永眠
漸く泣き止み帰宅すると、玄関に並べられている靴は美姫さんのものだけだった。どうやら兄はまだ仕事らしい。
二人で自室に入ろうとすると、リビングから美姫さんが出てきた。
「おかえり。――これ、雪音ちゃんに何か届いてたよ」
「え?」
そう言われて美姫さんから手渡されたものは、ガムテープできっちりと閉じられた小さな紙袋だった。
「ありがとうございます」
お礼を言って部屋へと入る。
紙袋をひっくり返して送り主を見ると、そこには“河野なぎさ”と書かれていた。
「なぎさからだ……!」
先刻まで泣いていたのに、今度は歓喜の表情になる。
「よかったね。誕生日プレゼントかな?」
夕海も、先刻の辛そうな表情が嘘のように今は笑っている。
私はすぐにそれを開けた。
中には手紙と、可愛らしいピアスが二つ入っていた。
手紙の冒頭に“お誕生日おめでとう”と書かれているから、やはり誕生日プレゼントのようだ。
これまでが辛かった所為か、泣きそうになる程嬉しかった。私はすぐになぎさにお礼のメールを送った。
夜も更け、時刻は二十三時を回った。あと約一時間で、今日が終わる。
「優人に、メールしようかな……」
お風呂から上がり、髪を乾かし終えて、私は呟いた。すると夕海は、
「え、送るの?」
と、言った。
「? うん」
「……何で?」
何でって……メールしたい以外に理由なんてあるのだろうか。
「今日は誕生日だし、ね……。最後に優人と話せたらそれだけで幸せな日になるかな……なんて」
ふふっと笑ったけれど、夕海の表情は変わらない。逆に険しくなった気がした。
「……まぁ、返事がなかったら意味ないんだけど」
そう言って私は苦笑する。
「……送ってみたら?」
「……う、うん……」
何なんだろう、さっきから。怒っている訳ではなさそうだけど、何故か言葉に棘がある。
そうは思ったけれど、さして気に留めなかった。この時この違和感をもっと追及すれば良かったのだろうか。
返事が来る事を願いながら、私は優人にメールを送った。
すると、拍子抜けするくらい、すぐに返事が来た。
嬉しくて笑顔になって夕海の方を見たけれど、何だかあまり嬉しそうではなかった。その顔は僅かに顰められている気がする。少し前返事が来た時は、一緒に喜んでくれたのにどうしたのだろうか。
そうか。肝心なのは返事の内容だ。ここでもし『ごめん、忙しい』とか、『ごめん、メールしないで』なんて書かれていたら、返事が来た事で喜んでいる自分はただのバカだ。
恐る恐るメールを開くと……、
……あれ?
普通の内容で、ちゃんと返事をしてくれている。しかも、笑った絵文字が付いていた。
私の心は、安堵と喜びに満ちていた。
他愛無い話をするのは、どれくらい振りだろうか。メールが続く事が嬉しくて仕方ない。
話題が、優人が家に一人でいる時、の事になった。私の脳裏に蘇った、彼の部屋での出来事。
また遊びに行きたいなって思った。だから、
<また優人の家に遊びに行けたらいいな>
と、返事をした。
すると優人の返事は――……。
<てか今日誕生日なんでしょ。おめでとう>
え。
何で。
私はメールを見た瞬間固まった。
どうして優人が私の誕生日を知っているのだろう。
喜びよりも、驚きの方が勝っていた。
「……夕海。優人からの、メール」
そう言って私は夕海にメールを見せた。
「……」
夕海は一瞬驚きの表情を見せたが、何も言わなかった。
「……何で、知ってるんだろう……」
私は彼に自分の誕生日を教えていない。優人が誰かから聞いたとも考えにくい。有り得ない。
「……聞いてみたら? 本人に」
私はポチポチと素早くボタンを押す。
<何で知ってるの?>
――送信。
お礼の言葉より先に、疑問を解消したい。
優人の返事は早かった。
<前に聞いたような気がする>
嘘だ。私は絶対に話していない。
「私、絶対に優人には言ってない。どういう事?」
優人は私に聞いたと嘘を言っている。もしかすると、共通の友人から聞いたのだろうか? いやしかし、共通の友人などいないし、唯一ギリギリそれと言えるのは、麻衣ちゃんだけだ。だが、麻衣ちゃんは私の誕生日を知らない筈だ。高校からの友人には、殆ど誕生日を教えていないから。
では何故――――……?
「――――ごめん、」
突然夕海が俯いたまま口を開いた。
「……優人さんに話したの、あたしなんだ……」
「え……?」
突然の告白に戸惑う私。
私は、静かに夕海の言葉に耳を傾けた。
話はこうだった。
夕海は、仕事が終わって泣き出した私の姿を見て、耐えられなかったらしい。辛くてボロボロになって、こんな悲しい誕生日しか迎えられない私が、見るに耐えなかったのだそうだ(その時はなぎさからのプレゼントが届いていると知らないし)。
だから、私がお風呂に入ってる隙に、私の携帯電話のアドレス帳を開き、そこから優人のアドレスを自分の携帯電話に移した後、優人にメールを送ったのだそうだ。
<いきなりメールをしてすみません。遠山雪音の妹で、夕海と言います。実は今日、お姉ちゃんの誕生日なんです。だから、一言でいいので祝ってあげてくれませんか?>
と。
優人からは、何で俺のアドレスを知ってるの? と問われたらしいが、真実を伝えたそうだ。
結局夕海の要求への返答はないまま、その問いが書かれた一通の返事以外、来なかったらしい。
夕海は苛立っていた。
確かに彼は、要求通りお祝いの言葉を言ったけれど、何故お姉ちゃんがメールを送るまで、自分から送らなかったのか、と。
そうか、だから……。
私は話を聞いて、夕海の反応に納得した。
「……優人さんって、」
全てを話し終え、夕海はどこか言いづらそうに口を開く。
「やっぱり、優しい人に思えない」
言いづらそうにしていたにも関わらず、言いたい事はハッキリと言った。
それは、実際にメールをしてみての感想だろうか。それとも、真剣にお願いしたにも関わらず、自分からメールを送らなかった事を言っているのか、或いは――……。
言う、タイミングの事だろうか。
夕海にとっては、恐らく全部だろう。そう、自分の中で勝手に結論を出した後、
「……そっか」
とだけ、私は呟いた。
零時を過ぎ、私の誕生日も過ぎた。
夕海は明日も仕事だから、と、寝てしまった。
優人とのメール、珍しくまだ続いていたけれど、どこか素直に喜べない自分がいた。
夕海の要求をのむ為に、返事をしたのだろうか。それがなければ、返事など来なかったかも知れない。
それに……スルー、されたんだ。
お祝いの言葉が書かれたメールが来る直前に、私が言った事は。
スルーしたという事は、きっともう、私と会う気はないのだろう。社交辞令で返事をして、私が本気にしてもいけないと思ったのか。
私の予感は、きっと当たる。
この恋愛が成就する事は、きっと、ないだろう。
もう、叶わない。もう、駄目なんだ。
感情のまま素直に泣き叫ぶ事が出来たら、どれだけいいのだろう。
他にどうすればいい。どうすればよかったんだ。
大きな声で泣き叫んで、辛い想いを全て吐き出したい。そしてもう、忘れたい。
……忘れたい?
本当は、優人がいいのに。いつだってそう思っているくせに。他の誰かがいいなんて思った事、一度だって、一瞬だってないのに。
だけどもう、どうしようもない。
今、――例えば私が他の誰かに乗り換えても、諦めたとしても、それはもう、“逃げ”にはならないだろう。友達だって家族だって、神様にだって、許される。
許さないのは、自身の、――心。
涙が静かに、流れた。
バカだな。
どんなに苦しくても、忘れられる訳ないのに。
こんなに悩んで辛くなるのも、悲しくて涙が流れるのも、寂しくなるのも、もう駄目だ……って悲観するのも、他の誰かじゃいけないのも、他の誰かでは幸せになれないのも、他の誰かが差し伸べる手を受け取れないのも、優人の面影を探すのも、その面影だけではやっぱり駄目なのも。優人だけに、幸せを感じるのも――……。
答えは、たった一つなんだ。
心が、いつも叫んでいた。泣いていた。呼び掛けていた。だけど、幸せそうに、笑っていた。
「優人が好き」
だって、いつも言ってた。
「好きでいたい……諦めたくない……優人がいい……」
言葉と涙が、溢れる。
「優人と結ばれて、幸せになりたい……」
本当の気持ちは、いつだって、心(ここ)にある。
叶う事を願って、ひたすらに走って努力して。残酷な現実に、時に憎しみすら感じる事もあったけれど。
――“優人が好き”
その気持ちに勝る醜い感情など、なかった。
二人で自室に入ろうとすると、リビングから美姫さんが出てきた。
「おかえり。――これ、雪音ちゃんに何か届いてたよ」
「え?」
そう言われて美姫さんから手渡されたものは、ガムテープできっちりと閉じられた小さな紙袋だった。
「ありがとうございます」
お礼を言って部屋へと入る。
紙袋をひっくり返して送り主を見ると、そこには“河野なぎさ”と書かれていた。
「なぎさからだ……!」
先刻まで泣いていたのに、今度は歓喜の表情になる。
「よかったね。誕生日プレゼントかな?」
夕海も、先刻の辛そうな表情が嘘のように今は笑っている。
私はすぐにそれを開けた。
中には手紙と、可愛らしいピアスが二つ入っていた。
手紙の冒頭に“お誕生日おめでとう”と書かれているから、やはり誕生日プレゼントのようだ。
これまでが辛かった所為か、泣きそうになる程嬉しかった。私はすぐになぎさにお礼のメールを送った。
夜も更け、時刻は二十三時を回った。あと約一時間で、今日が終わる。
「優人に、メールしようかな……」
お風呂から上がり、髪を乾かし終えて、私は呟いた。すると夕海は、
「え、送るの?」
と、言った。
「? うん」
「……何で?」
何でって……メールしたい以外に理由なんてあるのだろうか。
「今日は誕生日だし、ね……。最後に優人と話せたらそれだけで幸せな日になるかな……なんて」
ふふっと笑ったけれど、夕海の表情は変わらない。逆に険しくなった気がした。
「……まぁ、返事がなかったら意味ないんだけど」
そう言って私は苦笑する。
「……送ってみたら?」
「……う、うん……」
何なんだろう、さっきから。怒っている訳ではなさそうだけど、何故か言葉に棘がある。
そうは思ったけれど、さして気に留めなかった。この時この違和感をもっと追及すれば良かったのだろうか。
返事が来る事を願いながら、私は優人にメールを送った。
すると、拍子抜けするくらい、すぐに返事が来た。
嬉しくて笑顔になって夕海の方を見たけれど、何だかあまり嬉しそうではなかった。その顔は僅かに顰められている気がする。少し前返事が来た時は、一緒に喜んでくれたのにどうしたのだろうか。
そうか。肝心なのは返事の内容だ。ここでもし『ごめん、忙しい』とか、『ごめん、メールしないで』なんて書かれていたら、返事が来た事で喜んでいる自分はただのバカだ。
恐る恐るメールを開くと……、
……あれ?
普通の内容で、ちゃんと返事をしてくれている。しかも、笑った絵文字が付いていた。
私の心は、安堵と喜びに満ちていた。
他愛無い話をするのは、どれくらい振りだろうか。メールが続く事が嬉しくて仕方ない。
話題が、優人が家に一人でいる時、の事になった。私の脳裏に蘇った、彼の部屋での出来事。
また遊びに行きたいなって思った。だから、
<また優人の家に遊びに行けたらいいな>
と、返事をした。
すると優人の返事は――……。
<てか今日誕生日なんでしょ。おめでとう>
え。
何で。
私はメールを見た瞬間固まった。
どうして優人が私の誕生日を知っているのだろう。
喜びよりも、驚きの方が勝っていた。
「……夕海。優人からの、メール」
そう言って私は夕海にメールを見せた。
「……」
夕海は一瞬驚きの表情を見せたが、何も言わなかった。
「……何で、知ってるんだろう……」
私は彼に自分の誕生日を教えていない。優人が誰かから聞いたとも考えにくい。有り得ない。
「……聞いてみたら? 本人に」
私はポチポチと素早くボタンを押す。
<何で知ってるの?>
――送信。
お礼の言葉より先に、疑問を解消したい。
優人の返事は早かった。
<前に聞いたような気がする>
嘘だ。私は絶対に話していない。
「私、絶対に優人には言ってない。どういう事?」
優人は私に聞いたと嘘を言っている。もしかすると、共通の友人から聞いたのだろうか? いやしかし、共通の友人などいないし、唯一ギリギリそれと言えるのは、麻衣ちゃんだけだ。だが、麻衣ちゃんは私の誕生日を知らない筈だ。高校からの友人には、殆ど誕生日を教えていないから。
では何故――――……?
「――――ごめん、」
突然夕海が俯いたまま口を開いた。
「……優人さんに話したの、あたしなんだ……」
「え……?」
突然の告白に戸惑う私。
私は、静かに夕海の言葉に耳を傾けた。
話はこうだった。
夕海は、仕事が終わって泣き出した私の姿を見て、耐えられなかったらしい。辛くてボロボロになって、こんな悲しい誕生日しか迎えられない私が、見るに耐えなかったのだそうだ(その時はなぎさからのプレゼントが届いていると知らないし)。
だから、私がお風呂に入ってる隙に、私の携帯電話のアドレス帳を開き、そこから優人のアドレスを自分の携帯電話に移した後、優人にメールを送ったのだそうだ。
<いきなりメールをしてすみません。遠山雪音の妹で、夕海と言います。実は今日、お姉ちゃんの誕生日なんです。だから、一言でいいので祝ってあげてくれませんか?>
と。
優人からは、何で俺のアドレスを知ってるの? と問われたらしいが、真実を伝えたそうだ。
結局夕海の要求への返答はないまま、その問いが書かれた一通の返事以外、来なかったらしい。
夕海は苛立っていた。
確かに彼は、要求通りお祝いの言葉を言ったけれど、何故お姉ちゃんがメールを送るまで、自分から送らなかったのか、と。
そうか、だから……。
私は話を聞いて、夕海の反応に納得した。
「……優人さんって、」
全てを話し終え、夕海はどこか言いづらそうに口を開く。
「やっぱり、優しい人に思えない」
言いづらそうにしていたにも関わらず、言いたい事はハッキリと言った。
それは、実際にメールをしてみての感想だろうか。それとも、真剣にお願いしたにも関わらず、自分からメールを送らなかった事を言っているのか、或いは――……。
言う、タイミングの事だろうか。
夕海にとっては、恐らく全部だろう。そう、自分の中で勝手に結論を出した後、
「……そっか」
とだけ、私は呟いた。
零時を過ぎ、私の誕生日も過ぎた。
夕海は明日も仕事だから、と、寝てしまった。
優人とのメール、珍しくまだ続いていたけれど、どこか素直に喜べない自分がいた。
夕海の要求をのむ為に、返事をしたのだろうか。それがなければ、返事など来なかったかも知れない。
それに……スルー、されたんだ。
お祝いの言葉が書かれたメールが来る直前に、私が言った事は。
スルーしたという事は、きっともう、私と会う気はないのだろう。社交辞令で返事をして、私が本気にしてもいけないと思ったのか。
私の予感は、きっと当たる。
この恋愛が成就する事は、きっと、ないだろう。
もう、叶わない。もう、駄目なんだ。
感情のまま素直に泣き叫ぶ事が出来たら、どれだけいいのだろう。
他にどうすればいい。どうすればよかったんだ。
大きな声で泣き叫んで、辛い想いを全て吐き出したい。そしてもう、忘れたい。
……忘れたい?
本当は、優人がいいのに。いつだってそう思っているくせに。他の誰かがいいなんて思った事、一度だって、一瞬だってないのに。
だけどもう、どうしようもない。
今、――例えば私が他の誰かに乗り換えても、諦めたとしても、それはもう、“逃げ”にはならないだろう。友達だって家族だって、神様にだって、許される。
許さないのは、自身の、――心。
涙が静かに、流れた。
バカだな。
どんなに苦しくても、忘れられる訳ないのに。
こんなに悩んで辛くなるのも、悲しくて涙が流れるのも、寂しくなるのも、もう駄目だ……って悲観するのも、他の誰かじゃいけないのも、他の誰かでは幸せになれないのも、他の誰かが差し伸べる手を受け取れないのも、優人の面影を探すのも、その面影だけではやっぱり駄目なのも。優人だけに、幸せを感じるのも――……。
答えは、たった一つなんだ。
心が、いつも叫んでいた。泣いていた。呼び掛けていた。だけど、幸せそうに、笑っていた。
「優人が好き」
だって、いつも言ってた。
「好きでいたい……諦めたくない……優人がいい……」
言葉と涙が、溢れる。
「優人と結ばれて、幸せになりたい……」
本当の気持ちは、いつだって、心(ここ)にある。
叶う事を願って、ひたすらに走って努力して。残酷な現実に、時に憎しみすら感じる事もあったけれど。
――“優人が好き”
その気持ちに勝る醜い感情など、なかった。