カリソメオトメ
「美味いだろ?」
「うん、美味しい~」
 この温泉宿は、女将さんと料理を担当する旦那さんだけで経営しているそうだ。女将さんは「だから、儲けなんてそんなにいらないんです」と笑った。

 儲けないかわりに、温泉や料理をできる限りいいものにしようしているのは、それぞれを感じて味わうとよく分かる。夕食に用意されていた洋風懐石は、どの料理もとても美味しい。というよりも、あたしはこういうちゃんとした料理を食べたのが初めてだった。
 料理のひとつひとつの味付けは物凄く薄味なのにしっかりしていて、料理なのに芸術作品のように思えた。

「ここはな、俺が仕事で煮詰まった時に逃げ込む場所なんだよ」
 アキラがお刺身を食べながら、あたしが赤面するようなことをあっけらかんと言い切った。

「……うん、ありがと」
 嬉しくてたまらなかったけど、月並みな言葉しか思いつかなかった。あたしの中でアキラという男性像が少しずつ変わっていく。

 出逢った頃の強さや獰猛さ、離れて憧れていた頃の格好よさや純粋さ、好きになったと自覚してしまった頃の可愛さや優しさ、そして今、素のアキラ。
 ひとつを知る度、ひとつ惹かれていく。積み重なるそれがとても大切な宝物になっていく。
 彼に視線を向けると、彼の顔は真っ赤になっている。梅酒をコップで半分ほどを飲んだだけなのに……。

「アキラってお酒、駄目なの?」
「苦手っちゃそうかな。安上がりな人間だからよ、缶チューハイ一本飲めば酔っ払えるぞー」
 アキラの言葉に、思わずくすくすと笑ってしまった。このひとって本当に面白い。きっとこのひとと一緒にいたら、ずっと飽きたりしないだろうな。

 缶チューハイで酔っ払えるんなら、もしかして梅酒って、結構頑張っているんじゃない……?
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