車にはねられた猫


身近な人の死を知らない私の想像する死や震災なんて、所詮想像でしかなく、現実はもっと恐ろしいものだったのだ。


その恐怖は今を持って現在進行形である。
誰かを失った傷はまだまだ癒えないだろうし、いつまた地震が起こるかわからない。


復興というのは本当に大変なんだと思った。
見知らぬ猫の死にすらこれだけのショックを覚えるのだ。身内を失ったら…たまったもんじゃない。
傷を癒すというのは本当に大変なことなんだな。


猫は死ななければいけなかったのだろうか。
相手が人間だったら、瀕死だろうが心肺停止状態だろうが救急車を呼ぶ事ができるのに。


人間の都合で死んだのではないか、という考えが頭をよぎる。
保健所で強制処分がなされるのと同じではないか、と。


いやまて。例えば保健所が無い頃、自動車が無い頃のことを考えたら。江戸時代だって、荷車に引かれて死んだ猫はきっといる。


と言う事は、このような死に方が完全に無くなるようにするには、人間中心の世界を変えるしか方法は無いのか。車を操る人間が存在する限り、過失を皆無にするのは不可能だ。


…私に何ができただろう。
今の世の中では防ぎようの無い死に、どう立ち向かえと言うのだろう。





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